清荒神清澄寺を訪ねて 鉄斎芸術の礎、粉本を語る その1

清荒神清澄寺を訪ねて 鉄斎芸術の礎、粉本を語る その1

 2026年の後半は9月22日〜11月1日、別館・史料館で「鉄斎の書」、本館・聖光殿で11月10日〜12月13日「鉄斎の富士—池大雅没後250年によせて—」が開催予定で、弊誌でも紹介します。7月号と8月号では、鉄斎が独自の画風を確立するに至った背景にある粉本について二回にわたり鉄斎美術館の細里学芸員に聞きました。

粉本から見えてくる画の源泉
本来、「下絵」「画稿」のことを粉本といい、日本では自らの技法の向上や後の制作の参考のため摸写したものを指し、淡彩を施したもの、描線のみを写し色名を記したもの、実寸通り写したもの、縮写、略写したものなどがあります。
醍醐寺や高山寺に伝わる仏画の図像集や江戸時代に狩野探幽が中国・日本の古今の名画を丹念に摸写した「探幽縮図」などが有名です。
鉄斎の場合は対象とした原画の範囲も極めて広いのが特徴で、画題も故事、逸事、風俗、絵地図など多岐にわたり、道釈人物、山水、花鳥など多彩で、蘇東坡、沈南蘋、池大雅、谷文晁、伊藤若冲などの古画から幅広く学んでいるのがわかります。生涯、師を持たなかった鉄斎にとって、粉本は自身の画風を確立していくための礎ともいえるものです。
これらの粉本の原本には重要文化財や重要美術品に指定されている名品も含まれます。臨摸(摸写)や透き写しなどがかなり自由にできた明治の美術界を検証するうえで貴重な資料にもなっています。
「画道のはじめは人物なり」とする鉄斎は歴史上の人物を多く描き『摸古』と表題のある巻子には徳川家康をはじめ歌人や文人などの肖像や風俗画が描かれていますが、縮写とはいえ、描かれた人物は風貌や性格までを見事に捉え、魅力溢れる一巻となっています。
鉄斎が歴史上の人物で最も関心を寄せたひとりは豊臣秀吉で、現在、本画がサンフランシスコのアジア美術館に収蔵されている豊臣秀吉像を明治40年頃に臨摸しました(上図左)。その貴重な粉本は鉄斎美術館と大阪城に遺されています。
鉄斎は紀伊熊野で捕鯨の技術に接し、長崎平戸の捕鯨を記録した『勇魚取絵詞』から5図を写し『捕鯨略図』を描いています。舟を巧みに操る人物の要点を捉え、生き生きとした表現が目を引く作品で、併せて日本の生業の伝統を知る貴重な資料になっています。
前述の作品と共に『鉄斎の人物画』展でも展示された『勾白字詩七絶』(上図右)にも、原画を模写した粉本(同中)があり、本画へはかなりアレンジされていることがわかります。
粉本は鉄斎の画業を辿る上で欠くことのできないものであると同時に、晩年に至っても精力的に摸写を続けた鉄斎の飽くなき探求心が、類まれなる作品を生み出した源泉といえるのかもしれません。
*8月号では鉄斎が傾倒した文人・池大雅に因む粉本についても解説いただく予定です。



(粉本)豊臣秀吉像 明治40年 72歳

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