鉄斎の書を一堂に集めた展覧会を観る機会はめったにありませんから、私のように書道を学んでいるものにはとてもいい勉強の機会になりました。鉄斎といえば画に必ず画題に因んだ賛を書いていて、その書が画同様に味わい深くすばらしい、と思っていましたが、独立した書の作品をこんなに多く書いていたというのは驚きです。書幅や扁額に加え拓本や書簡も展示され、作品の一つひとつからはその筆に込められたその時々の鉄斎の思いが観るものに直接伝わってくるような気がしました。字体もさまざまで、必ずしも書き順にこだわっていないところなどは鉄斎らしいですね。心のまま自由自在に筆が動くのでしょう。
白楽天の『鶴に問う詩』を書いた「白居易問鶴詩書」(2・3回展示)は隷書であって隷書でないというか、うらやましいほど自由に書いている。普通の人にはできないことです。「陶然書」(右上の写真、2・3回展示)は墨をたっぷり含ませて滲むように書いていてふっくらと味のある字です。気持ちよく酔っ払う、という意味がそのまま表れているようで、とても絵画的でもありますね。
書は最後に捺す落款印も作品の一部ですから、とても神経を使うのですが、鉄斎は印癖有りと言われるだけあって引首印や落款印も作品の内容に合ったものを使い、書と見事に調和しているのに感心させられます。鉄斎の作品は印を観るという楽しみ方もあるわけです。年代順に展示された鉄斎の書からは晩年になればなるほどおおらかで自由になっていくのがよくわかり、鉄斎の生き方そのものが書を通して語られているようです。書き手の心が伝わってくる書、その魅力に浸ることができました。書は奥が深く82歳の今も私は模索中ですが、鉄斎から多くのメッセージをもらい、とても勇気付けられました。
▲滝澤筍江・1925年東京生まれ。
武蔵野音楽大学ピアノ科卒、演奏活動後、結婚。63年から5年間西ドイツ・ハンブルグ滞在。帰国後の68年、茶道裏千家阪神支部に所属、79年書道家片岡紫江氏に入門、氏が主宰する景風会会員。読売書法会会友、日本書芸院二科展審査員、宝塚書道協会会員。仁川在住