鉄斎が書画で生計が立てられなかった若い頃、歌人として著名な大田垣蓮月が和歌に添える画を鉄斎に描かせ糧にしたという合作が遺されていますが、鉄斎が85歳の時に制作した蓮月の和歌と蓮月が幽居する図を配して合作の形をとった「蓮月幽居図四方釜」が強く心に残りました。45歳も年の離れた蓮月への尊敬の念と深い思慕は亡くなって40年以上経っても変わることがなかったのでしょう。そして、蓮月との出合いは若き鉄斎の人格形成に大きな影響を与えたのでしょう。その関係性に感動しました。
鉄斎が逗留したという豪商や造り酒屋へ贈った作品も多く、妻、春子さんの故郷、愛媛・三津浜の海運業者へ贈った「三津浜漁市図」(前期展示)や大阪の豪商に贈った「漁楽図」(前期展示)は自然を相手に暮らす漁民の活き活きした様子が描かれ、とても楽しく、文人が理想とする生き方に通じるように思いました。文人というのはストイックな厳しいイメージしかなかったのですが、鉄斎の画からは人生を心豊かに愉しむノーブルな生き方が見えてきて、文人に対する興味が湧いてきました。私が宝塚教養学校を開校したのも文化や芸術を享受すると共にそれを後世に伝え社会に還元できる人づくりができればとの思いからです。
鉄斎は志を同じくする友に、その時々にふさわしい作品を贈り、また、自身も受けることによって交流が深まり、生き方そのものが豊かになっていったのがこの展覧会からよくわかりました。晩年の鉄斎と親交があった清澄寺の第37世法主光淨和上へ贈った作品に加え和上宛の手紙も展示されていますが、鉄斎との出合いがコレクションにつながり、伝承されていく意味は日本の文化においても大きな意味があると改めて感じました。
▲田宮緑子・東洋英和女学院大学卒業。テレビ関係の仕事に携わり活躍。バンカース・トラスト銀行勤務を経て、1995年から5年間ロンドン大学で日本語教授法を学び、英国生活文化を研究、帰国後ティーインストラクター、テーブルコーディネーターとして紅茶セミナーの企画や講師として活動。文化、芸術の継承や発信につながるノーブルライフを目指して2006年10月、宝塚教養学校を開校。