器玩を初めて拝見し、鉄斎が文人の嗜みの一つとして煎茶道を極め、その精神をいかに尊んでいたかを知ることができました。茶壷、茶碗、香炉、菓子器、風炉先屏風など茶道具に描いたものが多く、中でも指物師、中島菊斎との合作は、現代ではもう作ることはできないと思われる職人技が光る道具に鉄斎が大胆に絵付けしたもので、感動すら覚えるものでした。木製の扇式菓子器は絵付けによって陶器のように見え、香炉は青銅器に見える面白いものです。桐の印箪笥には四君子が全面に所狭しと描かれ、道具というよりは鉄斎芸術になっています。鉄斎は立体を前にすると想像力が掻き立てられ自然に筆が進んだのでしょう。自由奔放さは合作にも表れていてとても楽しいですね。
最近、菊斎についての詳細がわかった、と伺いましたが、鉄斎は息子(謙蔵)のような年齢の菊斎を才能ある京の指物師として高く評価し、日々使う道具を注文していたそうです。鉄斎が菊斎にあてた注文書や書簡などからも互いの信頼関係を見ることができ、それ故に素晴らしい合作が生まれたことがわかります。たった90年ほど前ですが、ネットで即、情報を得たり交信したりする現代とちがって、ゆったりした時間が流れ、確かな信頼関係もその中で築かれていったような気がします。
数点展示されていた掛軸の中、「対山医俗図」(前期展示)は、中国明代の羅念庵という人の詩意を画題にした水墨画で、賛には「さまざまな煩わしいことを何とか我慢してやり遂げる。苦い運命も甘い運命も同じように受け止めて暮らしなさい」という意味のことが書いてあります。今の時代へのメッセージのようでした。鉄斎美術館が偉大な画家であり学者である鉄斎の芸術を色々なかたちで紹介し続ける意義は大きいと感じます。
柿衞文庫でも江戸期に文人墨客が集い俳諧や俳画が盛んだった伊丹から、日本の文化である俳諧・俳句を発信し続けたいと思います。
岡田 麗・1951年伊丹市に生まれる。
84年(財)柿衞文庫開館後、学芸員として勤務。
伊丹の俳人「鬼貫」について研究、柿衞の雅号を持つ、祖父・利兵衛氏のコレクションにより発足した柿衞文庫で与謝蕪村や松尾芭蕉、上島鬼貫など江戸期の俳諧を中心に企画立案している