これまで演劇や映画を中心に取材してきたので、絵画は門外漢ですが、晩年の鉄斎と清澄寺三十七世法主、光浄和上との出会いや同寺への訪問が叶わなかった経緯に興味があり、鉄斎の画を知る上で貴重な粉本からも、人間鉄斎の一端を知ることができるかもしれないとの思いで鑑賞しました。 今回、初公開の「雉子図」(2回目展示)には「甲寅晩春日写富岡」とあり19歳の作ということが判るそうです。19歳から最晩年まで摸写をしているのは画家としては大変珍しいことですね。
画技や図様を学ぶための摸写であったことは言うまでもありませんが、学者でもあった鉄斎は自分が興味を持ち、研究対象とした題材を写し、調べたことを画に書き添えることも多かったのではないでしょうか。その探究心は晩年も衰えることはなかった。ただ、それを文章として世に発表し、後世に残すことは考えず、自分の覚書にとどめているのは学者としては不思議な気がします。小田海仙の「大黒天像」(2回目展示)の摸写には大黒について書いてある賛が間違っていることが記されているそうですが、学者としての鉄斎を知る手がかりとなる粉本がまだまだ眠っていると思われますね。
私が惹かれたのは京都、高山寺に原画がある本邦初公開の「将軍塚絵巻」(2回目展示)という「鳥獣人物戯画」と同じような作品の写しです。墨の線が洒脱で味があって、摸写なのに筆に勢いがある。捺印されていた「鉄叟摸写」という八角形の印からは、作品に込められた意味、歴史的背景、画家の生き方までを写し取る鉄斎の摸写に対する姿勢がうかがえます。
初めて粉本展を鑑賞し、写生画以前の日本画は粉本からオリジナルの本画が生まれるということがわかりました。そのオリジナリティとは何か、それは画が放つ「アウラ」(ラテン語でオーラの意)=霊気とも言える独特の雰囲気=である、という言葉を思い出しました。
▲辻則彦・1952年大阪生まれ。関西学院大学社会学部(マスコミ専攻)を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社、主に演劇、映画を取材、90年からフリーライターとして活躍。著書に「男たちの宝塚」「少女歌劇の光芒」など。前著は「宝塚BOYS」のタイトルで2007、2008年に舞台化され好評を博す