兵庫県豊岡市出身の森田子龍は昭和を代表する書道家の一人です。子龍は崇敬していた文人画家・富岡鉄斎の作品研究のため清荒神を度々訪れ、昭和50年(1975)には鉄斎美術館の扁額「聖光殿」と門標「鉄斎美術館」の文字を揮毫するなど、数多くの作品を遺しています。
子龍は過去の因襲を打破し書の原点に立ち返るべく、昭和27年に井上有一や江口草玄らと「墨人会」を結成し、雑誌「墨人」を創刊。抽象画家とも交わり、再三にわたって海外で展覧会を開催し、日本の前衛書が世界に認められるきっかけを作ったといわれています。彼の書は見事に文字の意味と形態が一体化し、正に「墨象」の世界を具現化した作品として世界的な評価を得ることになりました。
南面中央に展示されている二曲屏風「忍字」は黒の地に金泥で描かれ、「忍」の文字が絵画のようにも見え、その力強い表現に見入ってしまいます。左右には「願」「夢」「渓」「泉」が配され、文字の造形が、美しい墨で表現されています。キャビネットには芸術に造詣が深く、子龍とも親交のあった先々代法主光淨和上の遺愛品「高麗呉器茶碗」が展示され、昭和54年(1979)に子龍が揮毫した箱書も併せて見ることができます。
昭和53年(1978)に京都府より美術工芸功労者、昭和55年(1980)京都市より文化功労者として表彰され、平成7年(1995)83歳で兵庫県文化賞を受賞し、平成10年(1998)12月、86歳でこの世を去りました。
文字の本質を捉え、心のままに描いた墨の世界、子龍の「心の書」は文字を通して造形の美しさと和の心を伝えています。