鉄斎という人物像をもっと知りたくなる
露店の並ぶ参道から山門をくぐり、鉄斎美術館に向う空間はまさに別世界のようで、初めて訪れた鉄斎美術館の端正な佇まいも、俗世に染まらない生き方を貫いた鉄斎にふさわしい、と感じました。
展覧会(前期展示)では中国の神仙思想や老子、荘子の思想に親しみ、その理想とする世界を描いた仙境図を鑑賞しました。
ポスターになっている仙人が集う「群僊集会図」(左上の写真)は81歳で描かれたにも拘わらず、力強い筆致で、群青の岩肌や山間に現れる鮮やかな朱の東屋は3Dを見るようです。
映像などで知る中国の険しい山は人間を拒絶しているように見えますが、鉄斎が描く山や自然は人間を受け入れてくれますね。
鉄斎は中国へ一度も行くことがなかったそうですが、万巻の書を読み、風景やそれらにまつわる故事を熟知していたのでしょうか。
中国故事を描いた「伯夷叔斉像」は強く印象に残っています。「周が殷の王を武力で討伐することを戒めた伯夷と叔斉の兄弟が、周の禄を食すことを恥じ山中に隠遁、蕨を食べて餓死した」という高潔な伯夷と叔斉の目は、千日回峰行を二度満行した比叡山延暦寺の酒井雄哉大阿闍梨の目に似ているようでした。
一回目の千日回峰満行を終えられた時にインタビューさせていただいたことがあります。
また、鉄斎の絵には死生観が深く関わっているように思えました。小さい頃から耳が不自由だったことや、最初の奥さんを21歳で亡くし、その子どもも夭逝、長男の謙蔵氏も46歳と言う若さで亡くなるという、人間の生死に向き合わざるを得ない運命。そして坂本龍馬とほぼ同じ幕末を生き、多くの若者の死を目の当たりにしたことが、俗塵から離れ、精神の高みを目指す生き方へとつながり、不老不死の仙人が棲むという理想境を描くことへ結実していったのではないでしょうか。
初めて鉄斎に触れ、絵にもまして鉄斎という人物像に興味が湧いてきました。