清荒神を訪ねて 鉄斎美術館別館史料館 蓮月没後150年「鉄斎が敬慕した大田垣蓮月」 9月16日~10月26日開催

清荒神を訪ねて 鉄斎美術館別館史料館  蓮月没後150年「鉄斎が敬慕した大田垣蓮月」 9月16日~10月26日開催 清荒神清澄寺の境内にある鉄斎美術館別館「史料館」では9月16日(火)から、「鉄斎が敬慕した大田垣蓮月」展が始まります。蓮月の没後150年に因み企画されました。  富岡鉄斎(1836〜1924)の生き方そのものに大きな影響を与えた大田垣蓮月。若き日の鉄斎を支え、鉄斎の画に歌賛を添え、合作を遺しています。また、蓮月手捻りの陶器に自詠の和歌を彫った蓮月焼と鉄斎が画を描き添えた箱も展示され、鉄斎が蓮月を生涯敬慕し続けたことが作品からも感じ取れます。
開館時間 午前10時〜午後4時30分(入館は4時まで) 入館料 一般300円、高大生200円、小中生100円 (老人、障害者手帳提示の方は各々半額) 宝塚市米谷字清シ1 清荒神清澄寺山内tel.0797-84-9600

追慕の念を持ち『蓮月幽居図』を描いた鉄斎
 歌人で陶芸家の大田垣蓮月と鉄斎の出会いは蓮月65歳、鉄斎20歳の頃と推測されます。
 鉄斎の父・維叙(これのぶ)は法衣商で京都の聖護院村に別宅を構え、同村に住んでいた蓮月とは知己の間柄でした。蓮月の引越にあたり、北白川の心性寺を紹介し、身の回りの世話をする学僕として若き鉄斎を同居させます。
 陶芸の土の運搬や窯元へ作品を運ぶ手伝いなどを担いました。当時、勤王の志をもち国事に奔走した血気盛んな鉄斎に対し、蓮月は鉄斎の情熱を受け止め、時に諭し宥めたといいます。そして蓮月は鉄斎に長生きして世のため人のためになることをするよう語り掛ける文面の書簡を送っています。
 また、地域の慈善活動に努めた蓮月の慈悲深く謙虚な人柄に接したことは鉄斎の生涯に大きな影響を与えました。蓮月から受け継いだ精神は鉄斎による神社や祭の復興や被災者支援に繋がっているのだといえるでしょう。
 鉄斎31歳、蓮月76歳頃の作品『狸図』には蓮月が和歌を書し、笠を被った愛らしい狸が鉄斎の筆で添えられています。
 蓮月は自身の死を「誰にも知らせてくれるな。ただ富岡だけには伝えてほしい」と言い残し85歳で没しました。蓮月の死後、鉄斎は毎年墓参を欠かさなかったといいます。
 晩年は愛蔵の蓮月焼に箱を誂え、蓮月幽居図などを描きました。穏やかに作陶や詠歌を娯しむ蓮月の姿に追慕の念が伝わってきます。大正9年に制作された『蓮月幽居図四方釜』の箱には林鶴梁が著した漢詩「烈婦蓮月事」を鉄斎が書し、蓮月を讃えています。


大田垣蓮月肖像 1877年 42歳
大田垣蓮月
1791年京都に生まれ、生後まもなく大田垣光古の養女となる。1807年に結婚したが25歳で死別、再婚するも死別し、33歳で出家して蓮月と号す。移り住んだ岡崎では陶芸で生計。和歌を彫った「蓮月焼」が人気を博す。晩年には富岡鉄斎を学僕として迎え、若き鉄斎の人格形成に大きな影響を与える。和歌に鉄斎が画を添えた合作を遺している。1875年西賀茂にて85歳で没す。


蓮月幽居図四方釜 大正9年(1920)
三代高木治良兵衛作・富岡鉄斎筆

清荒神を訪ねて 鉄斎美術館別館史料館  蓮月没後150年「鉄斎が敬慕した大田垣蓮月」 9月16日~10月26日開催

蓮月没後150年 
鉄斎が敬慕した大田垣蓮月
会  期:9月16日(火)~10月26日(日)
開館時間:9時30分~16時30分
会  場:鉄斎美術館別館史料館 入場無料
休  館:月曜日(但し10月13日は開館、翌14日休館)

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