令和元年の掉尾を飾るに相応しい展示
幕末の京都に生まれた鉄斎は激動の明治、大正を生き、若いころは勤皇家として国事に奔走し、維新後は神官として奉職、神社の復興に尽力したことは知られています。宮家とも親交を結び、明治40年(1907)明治天皇の御用画制作を拝命した際には「天子知名」印を刻して記念としています。
また、鉄斎は大正4年11月の大正天皇御大典に際し、奉祝の意を込めて多くの萬歳書を書き遺しています。大正11年、87歳の時に正五位に叙せられ、その喜びを「心遊仙境図」として描き、賛には「私は長生きし、痩せた鶴のようだ。その鶴の鳴き声のように私の名が宮中奥深くに達しようなどとは、思いがけないことであった」という意の詩を添えています。
新天皇の御即位を記念して開催される「天子知名―皇室と鉄斎―」展では、鉄斎が生涯篤く敬った皇室に関する作品や資料など貴重な作品が展示されています。