富岡鉄斎は画の師を持たず、「すべて盗み絵だ」と語り独学で画を学びました。粉本と言われる摸写によって独自の画法や画風を確立していったと言えます。粉本の制作年代は主に40代から60代と思われますが、鉄斎の好奇心や探究心は衰えを見せることなく80歳を過ぎてからも古画を摸写しています。
盗み絵の軌跡ともいうべき鉄斎の粉本
「粉本」とは古くは中国で画稿のことを指す言葉で、日本では絵師が制作や研究のために実際の画を摸写したものをいいます。摸写には忠実に写したものから縮写や略写したもの、淡彩を施したもの、描線のみを写し色名を記したものなどがあり、狩野探幽が中国、日本の名画を摸写した『探幽縮図』は有名です。
鉄斎は「自分の絵は盗み絵だ」と語り、膨大な数の粉本を遺しています。その内容は多種多様で原画は中国、日本を問わず各時代に及び、中国の宋から清に至る画家、趙昌、蘇東坡、牧谿、董其昌、沈南蘋など。日本では土佐光信、長谷川等伯、狩野探幽、池大雅、伊藤若冲、渡辺崋山、小田海僊など多彩を極めています。分野では仏画、人物画、山水画、花鳥画、風俗画、絵図など。様式では大和絵、文人画、狩野派、写生派、琳派などあらゆる流派を網羅しています。
国宝『平重盛像』『鳥獣人物戯画』、重要文化財『渡辺崋山像』や重要美術品『黄梁一炊図』の粉本も遺されていて、明治時代には臨摸や透しなどがかなり自由に出来たことが伺えます。
鉄斎は先人の画を摸写し技法や構図、色彩、更に筆意を学び、やがて自身の画風や画法を生み出し独特の自由奔放な筆で、様々な分野の作品を描き遺したといえるでしょう。
歴史上の人物を描くことに意を尽くしていた鉄斎は多くの人物画を多数描きました。肖像画の摸写も多く「摸古」と題した巻子には徳川家康、小野道風、紀貫之、千利休、蘇東坡、雪舟などの肖像や風俗画18点が収められ、縮写とは言え、風貌や性格まで見事に捉えられています。
江戸の絵師・伊藤若冲の作品『糸瓜群虫図』を鉄斎は絶賛し臨写していますが、若冲の精緻な筆とは違って自身の筆法になってしまっているのがわかります。元鉄斎美術館学芸員の奥田素子氏は「若冲の筆より遥かに鉄斎の筆が軽快なのは、この逸品に出会えた喜びのあまり、思わず自身の筆法になったためではないでしょうか」と述べていますが、鉄斎の人柄を垣間見るようで興味深い一文です。
盗み絵の軌跡ともいえる粉本―摸写は鉄斎自身の中で咀嚼、吸収され89歳で没するまで多くの素晴らしい作品を生み出しました。
富岡鉄斎筆 九霞墨戯図〈部分〉(本画:池大雅)