清荒神を訪ねて 鉄斎美術館別館史料館 清荒神と鉄斎 シリーズⅡ

清荒神を訪ねて 鉄斎美術館別館史料館 清荒神と鉄斎 シリーズⅡ

鉄斎コレクションを積極的に公開  清荒神清澄寺37世法主坂本光浄和上は鉄斎芸術と...

鉄斎コレクションを積極的に公開

 清荒神清澄寺37世法主坂本光浄和上は鉄斎芸術とその精神を広く普及したいと考え、国内外を問わず各地で鉄斎展を開催しました。当時はまだ、鉄斎美術館は無く展示作品は幌をかけたトラックに積んで各地を移動し公開したといいます。昭和32年(1957)から34年には初の海外展としてアメリカで、35年はカナダで、36年には当時のソ連で巡回展が開催され、大変な反響を呼びました。アメリカ、ソ連などには和上も自ら訪れ、会場では現地の人々と直接語り鉄斎遺愛の筆でサインをされたとのこと。その後もブラジル・ヨーロッパ各都市・アメリカ各地でも鉄斎展が開催されました。
 和上は、鉄斎芸術は世界的であり、世界に通用する美術を通じて平和と繁栄をもたらしたい、また、こうした美術品は、個人は勿論、一国だけで専有すべきものではなく、世界共有の宝物として世界の人々が人類の利益のために扱うべきだと考え、フランスのギメ美術館、アメリカのボストン美術館をはじめ、各国の美術館にも名品の数々を寄贈しています。鉄斎は「わしの画を見るときは、まず賛を読んでほしい」と語っていますが、賛文は極めて難解なため、和上は賛文を中心に鉄斎芸術の総合的な調査研究を進めるべく、鉄斎研究所を昭和42年に設立、小高根太郎氏を中心に賛文の解読が行われました。賛文の研究誌『鉄斎研究』第一号は昭和44年12月19日、鉄斎の誕生日発行になりましたが、刊行を目前にした10月に和上は遷化されました。和上の遺志は悉く第38世法主光聰和上に受け継がれました。『鉄斎研究』の存続はもとより、念願だった鉄斎美術館「聖光殿」建設に着手、昭和50年4月に竣工。鉄斎美術館正面に掲げられている扁額「聖光殿」は森田子龍揮毫によるものです。
 初代館長には鉄斎の孫である富岡益太郎氏を迎え、4月8日~5月25日には開館記念展が開催され、光聰和上、館長とともに当時の友金宝塚市長らがテープカット。入場料は宝塚市立図書館の美術図書購入費に寄付されることになり、昭和55年には清荒神駅前の宝塚市立中央図書館内に「聖光文庫」が開設されました。
 美術館の収蔵品は絵画、書、鉄斎が絵付けを施した道具類などの器玩、粉本に加え書簡や遺愛品などが更に充実、現在まで継続して一般公開されています。
 昭和61年には中国の上海、北京で、平成元年にはベルギーのルーヴァン市でも鉄斎展が開催されました。
 光聰和上は平成11年(1999)に遷化されましたが、翌年の開館25周年には最新の機能を備えた新収蔵庫が完成、鉄斎作品の管理・保存レベルが向上することになりました。
 両和上の遺志は第39世法主光謙和上に受け継がれ、令和元年(2019)1月からは、平成20年に境内に完成した瀟洒な建物が印象的な鉄斎美術館別館「史料館」で年2回、鉄斎作品の展示が行われています(無料)。参拝がてら気軽に観ることができ、身近に鉄斎作品に触れることができる貴重な展示空間になっています。絵画鑑賞に留まらず鉄斎芸術に宿る精神、思想から多くを学ぶことができるのではないでしょうか。
(『鉄斎美術館開館25年のあゆみ』から清荒神と鉄斎を参考にしています)



ソ連展での第37世法主坂本光浄和上


昭和50年、鉄斎美術館開館にあたりテープカットをする第38世法主坂本光聰和上(中央)。
左は友金宝塚市長(当時)


2023年12月3日に開催された聖光文庫文化講座で挨拶をする第39世法主坂本光謙和上

清荒神を訪ねて 鉄斎美術館別館史料館 清荒神と鉄斎 シリーズⅡ

「没後100年 富岡鉄斎」展
京都国立近代美術館にて4/2~5/26

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