煎茶にも造詣が深かった鉄斎 煎茶は中国唐の文人であり茶祖とされる陸羽(733~...
煎茶にも造詣が深かった鉄斎
煎茶は中国唐の文人であり茶祖とされる陸羽(733~804)が著した「茶経」により、文化として確立したと言われています。中国から日本に伝わると、室町時代には武家の間で抹茶(茶の湯)が広がり、煎茶は江戸時代に文人の間で盛んになります。
近代文人画の巨匠と称される富岡鉄斎(1836~1924)もまた書画だけに留まらず、文人の嗜みとして煎茶にも親しみました。煎茶を画題にした作品は30歳代から数え89歳で没するまで描いています。
鉄斎は茶祖・陸羽を画題とした作品も遺していますが、なかでも煎茶の中興の祖といわれる売茶翁高遊外の生き方を尊崇し、《売茶翁像》や《売茶翁茶具図》などを描いています。
売茶翁は長崎で中国人に直接学び、57歳で念願の売茶生活に入ったといいます。元は黄檗山の僧でしたが、68歳の時に還俗して姓を高、名を遊外とし、81歳まで売茶生活を続けました。
鉄斎は売茶翁をテーマとした作品の賛には『売茶翁偈語』を最もよく引用しています。このうち翁の自首三首には茶禅一味の思想が説かれ、翁が売茶生活に至った心情が表されています。翁の観念的ではなく、行動的な生き方に鉄斎は強く惹かれていたことが窺えます。
売茶翁の肖像は翁と交遊のあった伊藤若冲の筆による作品がよく知られ、鉄斎筆《売茶遊外像》(辰馬考古資料館蔵)の箱書には『此の像は若冲の本に拠る』と記されています。
また、鉄斎が絵付けを施した茶碗や茶道具類など名工との合作も多く制作しています。
晩年には売茶翁の供養茶会を記念して、翁が自身で焼却したとされる炉龕「僊窠」を復元したほか、指物師中島菊斎らと茶具復元にも試みました。
俗塵を離れ、精神生活を理想とした文人・鉄斎が売茶翁に傾倒し、茶祖・陸羽とともに翁を画題とし、煎茶にまつわる作品を多く遺していることにも注目したいものです。
京都宇治満福寺にて大正13年(1924)6月15日鉄斎89歳の時に開催された売茶翁供養茶会。前列左から鉄斎、一人置いて黒川魁亭、高田新助(採古堂)、中島菊斎、布施巻太郎、後列左端松葉儀平、右端四代秦蔵六
僊窠書売茶式器局 中島菊斎作・富岡鉄斎筆 大正13年
煎茶皆具 中島菊斎ほか作・富岡鉄斎筆 大正時代
鉄斎―故事をえがく―
会期 前期 9月21日(木)~10月31日(火)
後期 11月9日(木)~12月19日(火)
会場 鉄斎美術館別館史料館
開館時間 9時30分~16時30分
休館日 水曜 *入館無料
会期・開館時間は変更となる場合があります。
詳しくは美術館ホームページをご覧ください。