2月14日までの前期展に続き21日から後期展が開催される「鉄斎の富士」。傑作として名高い六曲一双屏風『富士山図』の左隻を間近に観ることができます。数え四十歳の時に富士登頂を果たし、生涯富士を描き続け、最晩年の作品『富士山図』には九十歳と書されています。写真家で富士山や日本各地に座する富士を380山余り撮影、「ふるさとの富士」を各方面で発表している吉野晴朗氏と前期展示を鑑賞、鉄斎独特の表現に注目しました。
鉄斎独自の視点で描いた富士が面白い
富士山が世界文化遺産に登録されるにあたって資料を文化庁が収集、鉄斎の『富士山図』もそのひとつと聞きましたが、私の「ふるさとの富士」写真集も二冊収蔵されています。
裾野を左右対称に引く山容の美しさと雄大さに惹かれ、多くの画家が描いている富士ですが、鉄斎の富士は独特で、『富士山図』(右隻)は不思議な迫力があります。この画は美的・写生的に描かれる物質的な山の富士を超え、御神体の富士を描いたものと感じています。山頂から麓の浅間神社を抱くようにのびのびと裾野を広げる富士は、宝永山を強調しながらも説明的な表現を避け、山頂と高い雲が朝陽に包まれた山容のシルエットは神秘的な神々しさがあります。
吸い込まれるような黒っぽい山肌に纏わり舞う雲は、富士に遊ぶ鉄斎の姿とも言えるでしょうか。
86歳で描いた『社頭暁景図』もまた傑作。画の中央を横切りたなびく雲で山頂部と麓の浅間神社の佇まいとに分かれ、富士山の特徴である美しい裾野は省かれているので、まるで江戸の街に多く造山された富士塚のような可愛さでユーモアさえ感じます。
『朝晴雪図』は夫婦岩から見た白い富士が注連縄ごしに存在感を漂わせています。
江戸時代はお伊勢参りが盛んで西国の人々は伊勢の二見ケ浦から初めて富士山を遥拝、大名は参勤交代の折に富士山を間近に眼にします。鉄斎も三十代で天皇の東京行幸に供奉したときに初めて富士を見たとされています。
数え四十歳で果たした富士登頂の記録には、八合目でご来光を仰いだと残されていますが、八合目から上は浅間神社の聖域、山頂で拝むことはできなかったと言います。
日本人が信仰の対象としてきた富士山の自然を現代人はもっと大事にしなければ、という思いをより深く感じることができました。後期『富士山図』屏風(左隻)も楽しみです。
吉野 晴朗
日本写真家協会会員。富士学会会員。写真集「ふるさとの富士」を始め、四季折々の葉っぱを透過光撮影した「葉精の詩」(淡交社)、阪神淡路大震災の被災地に残された猫を収めた「津高家の猫たち」(東方出版)、「ふるさとの歌がきこえる」(パイインターナショナル)など多数。宝塚市展審査員、同ポスターの制作。尼崎市展審査員。宝塚在住。