清荒神清澄寺を訪ねて 美術評論家・加藤義夫さんと観る「鉄斎と帝室技芸員の作家たち」展

清荒神清澄寺を訪ねて 美術評論家・加藤義夫さんと観る「鉄斎と帝室技芸員の作家たち」展

 薫風が清々しい五月の清荒神清澄寺の境内。今年は思いもかけない新型ウイルスが猛威を振るい、その対策のため境内にある鉄斎美術館別館史料館も一時休館となっていました。  開館45周年記念企画、第2弾は「鉄斎と帝室技芸員の作家たち」展。富岡鉄斎(1836-1924)は明治23年、数え82歳で帝室技芸員を拝命しますが、学者を自任する鉄斎にとって思いがけないことで困惑したというエピソードも遺っています。  美術評論家で、4月19日にオープンが予定されていた宝塚市立文化芸術センター(タカラヅカ・アーツセンター)の館長・加藤義夫さんと同展を鑑賞、鉄斎作品の他、親交の深かった帝室技芸員の作家たちの作品にも触れ、改めて人間鉄斎の偉大さを学びました。

 鉄斎は画家を超越した存在かもしれない
 4月から館長を務めている宝塚市の文化芸術センターの開館が政府の緊急事態宣言を受けて延期になりましたが、第1回目の展覧会は宝塚ならではのアートを観てもらうべく、宝塚在住のアーティスト6人の作品展「宝塚の祝祭Ⅰ Great Artists in Takarazuka」を企画しています。宝塚では美術の発信がここ鉄斎美術館とアニメとマンガの殿堂・手塚治虫記念館だけでしたから当センターが芸術の発信拠点に加わればと思っています。
 鉄斎は近代最後の文人と称され書画一致、余白に書かれた賛に特徴がありますが、そうした日本の画法に影響を受けたのが19世紀のヨーロッパです。工芸家のエミール・ガレなどを中心として、ジャポニスムが流行し、アール・ヌーヴォーが誕生します。ガレは、画の中に哲学、思想、文学を内包した世界観を表す芸術だと高く評価しました。
 史料館の展示では鉄斎と交流のあった帝室技芸員の作家たちの作品も展示され、鉄斎との関係の一端を伺い知ることができます。
 鉄斎は数え82歳という高齢で帝室技芸員に任命されていますが、今なら日本芸術院会員、あるいは文化勲章受章者ほどの栄誉でしょうか。しかし、鉄斎は拝命記念の印に「技」を抜いて「帝室芸員」と彫らせたそうで、文人鉄斎の自負を表していると言えるかもしれません。
 京都画壇の重鎮、幸野楳嶺の一首が賛になっている大和絵風の「安宅関図」(加藤さんの右後)や鉄斎自ら篆刻し、楳嶺に贈った印が捺された作品から、昵懇の仲だったことが伺えます。
 鉄斎が実際に使った鉄斎筆の魁星図が描かれた絵具皿など陶芸家・初代諏訪蘇山との合作も多く蘇山の葬儀祭壇に鉄斎が描いた「蓮図」が掛けられた写真も展示されていて得難い友だったことがわかります。
 89歳まで生きた鉄斎は現代なら120歳以上の長寿といえますが、それにしても1~2万点という作品の多さには驚かされます。20世紀で一番多作で満91歳まで長生きしたピカソでさえ約3〜4万5千点、普通なら生涯作品点数は約2千点ぐらいですから。画家を超越した人間鉄斎のパワーを感じます。

清荒神清澄寺を訪ねて 美術評論家・加藤義夫さんと観る「鉄斎と帝室技芸員の作家たち」展

【プロフィール】
加藤義夫
キュレーター、美術評論家。大阪芸術大学美術学科客員教授のほか、神戸大、大阪教育大で非常勤講師。朝日新聞大阪本社「美術評」担当。2020年4月より宝塚市立文化芸術センター(タカラヅカ・アーツセンター)館長に就任。現代美術の振興にも努める。

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