今年は鉄斎美術館開館45周年にあたり、年4回の企画展が開催されます。その幕開けは1月5日から始まっている「清荒神と鉄斎」。鉄斎作品がここ宝塚の清荒神に集められた経緯を作品から読み解くことができる展示になっていて興味深い内容です。3月20日の検定で11回を数える宝塚学検定の検定委員として尽力されている谷口義子さんと前期展示を鑑賞、鉄斎作品を間近に観てその魅力に触れました。
私は宝塚学検定に携わっていますが、検定の受検者は延べ2,184人になり、上級試験に合格した「博士」は204人で、宝塚のまちあるきのガイドやPRなどで活躍いただいています。
過去の問題には、鉄斎の作品を収集し境内に鉄斎美術館を開設した寺は?というような設問もありましたが、開催中の展示は清荒神と鉄斎の関わりを深く知ることができ、新たな発見があります。
清荒神には鉄斎から直接贈られた作品が16点も収蔵され、そのほとんどが89歳、最晩年の作品。先々代法主の光浄和上は鉄斎の高潔な精神と芸術性に傾倒、晩年の鉄斎と親交を持ち、京都の鉄斎宅を度々訪ねていて、その礼状などを含め13通の書簡も遺されているそうです。
山中幽居を描いた「水墨清趣図」は荒神川とみそぎ橋をイメージして描かれ、また「昇天龍図」(写真の作品・後期展示)は参道を天に昇っていく龍に見立てて描いた作品と伝わっています。
私が惹かれた「渓居読書図」という作品は、鉄斎が90歳を前にしても、遠近法を取り入れた新しい画法を模索していたように思えて心に残っています。 手前に描かれている道から渓谷を山中に分け入ったところに庵がある、文人が理想とした深山の風景が、観る者に迫ってきます。奥行きや微妙な陰影は、図録など印刷物ではわからないでしょう。美術館に行って本物を観るとそう感じます。
写真パネルの中に、鉄斎が原書を揮毫した高野山霊宝館の扁額「放光閣」完成時の記念写真がありましたが、明治期に日本の農産業の振興に尽くし、神戸でオリーブ園の開設・運営に携わった前田正名が写っていて、鉄斎と交流があったことを初めて知り驚きました。どういうつながりがあったのか調べてみたいと思います。鉄斎美術館別館の史料館では鉄斎作品が気軽に観られるので、ぜひとも本物の作品に触れてほしいと思います。
【プロフィール】
谷口義子
神戸学院大学非常勤講師、神戸外国人居留地研究会監事。宝塚学検定委員。NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」神戸風俗考証、同「ブラタモリ#64神戸の港」出演、同神戸放送局「新兵庫史を歩く」リサーチャー。著書・共編著『宝塚まちかど学』『宝塚市制60周年記念写真集』など