“鉄斎”を観る、知る、感じる。

“鉄斎”を観る、知る、感じる。

鉄斎美術館は、近代文人画の巨匠・富岡鉄斎と交友を結んだ清荒神清澄寺第37世法主坂...

鉄斎美術館は、近代文人画の巨匠・富岡鉄斎と交友を結んだ清荒神清澄寺第37世法主坂本光浄の「宗美一体」の理念とその遺志を継承して、約1世紀にわたって蒐集されてきた鉄斎作品を広く公開展示しています。第38世法主坂本光聰が昭和50年(1975)に「聖光殿」、第39世法主坂本光謙が平成20年(2008)に別館「史料館」を清荒神清澄寺の境内に開館しました。
清荒神清澄寺所蔵の鉄斎作品は絵画、書をはじめ、鉄斎が絵付を施した器物、あるいは手造りの陶器など器玩と呼ばれるものや、先人の構図、筆法などを学びとるために鉄斎が摸写した粉本など多岐にわたり、晩年の傑作を中心に2,000余点を数えます。










“鉄斎”を観る、知る、感じる。

富岡鉄斎(1836~1924)は、京都の法衣商十一屋伝兵衛維叙の次男に生まれました。はじめ学問の道を志し、画は文人の嗜みとして10代後半から学びました。生涯の恩人大田垣蓮月の薫陶を受け、青年期には勤皇思想に傾き国事に奔走しました。大鳥神社などの宮司を勤め、荒廃した神社の復興に尽くしています。明治14年に帰洛後、学者を自任し京都美術学校で修身を教える一方、京都美術協会と日本南画協会の設立に加わりました。「万巻の書を読み、万里の路を行く」ことを実践して得た該博な知識により、画壇において独自の地位を確立し、数え89歳で亡くなるまで万余の作品を遺しました。帝室技芸員、帝国美術院会員。

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