今年、開館40周年を迎えた鉄斎美術館。清荒神清澄寺三十七世法主光浄和上が鉄斎の作品に出会い、蒐集をはじめて約百年。現在、二千余点のコレクションを収蔵し、全国唯一の専門美術館として注目されています。4月からは、鉄斎の座右の銘「万巻の書を読み、万里の路を行く」をテーマに「万巻の書を読む」展が開催されており、文筆家で『ブッダの垣根』『東雲に絶えでと謳え』などを世に出している柏木抄蘭さんと前期展示を鑑賞、鉄斎が画題を得た書物にも注目しながら、描かれた逸話に心を遊ばせました。
展覧会の入り口には鉄斎の自宅に掲げられていたという「不読五千巻書者無得入此室」の扁額が飾られています。現代なら千巻でも入れる人は少ないでしょうが、「書物を読まない者はわが家には出入りできない」という意に鉄斎のプライドと遊び心を感じました。
34歳の作品「菟道製茶図」には江戸時代の文人・田能村竹田の製茶論が賛文に書かれていて、鉄斎の旧蔵本『泡茶新書三種』も展示されています。鉄斎が好んだ赤い更紗模様の裂で表装された帙が目を引きました。親しくさせていただいていた作家の宮尾登美子先生が生前にご自分の着物で装丁した豆本を作られ、頂いたものを今も大切にしています。
万巻の書を読み、その精神を学びとった鉄斎は書物から画題を見つける能力が凄いと思いますね。その発露と昂揚をもとに描けるすばらしい方です。
『蓮社高賢伝』にある、僧・竺道生が石に向かって説法すると、その石が頷いたという「竪石点頭図」(左上の写真、右図)や、利休が山科の茶人・丿貫の宅を訪ね、丿貫が愛用の飯炊き兼用の手取釜で茶を点てた、という逸話(『茶話指月集』)をもとに描いた「休師訪丿貫図」など鉄斎の表現は見事で、画に物語を見ることができます。
画題は賛として鉄斎の筆で書かれ、その訓読と大意が作品と共に展示されているので、漢文の読めない現代の我々にも理解でき嬉しいです。
もうひとつ、印象に残っているのは弘仁十一年、孝徳天皇の御代に牛乳を搾る術を習って乳長上(ちちのかみ)という職を授けられたという「始献牛乳図」。官職の衣の鮮やかなコバルトブルーと搾った牛乳を入れる器の美しい緑青が色鮮やかなのに驚きました。
画の素晴らしさは言うに及ばないのですが、鉄斎が書写した『等伯画説』や、唯一現存している『東坡先生年譜』など貴重な旧蔵本を見ると、鉄斎が自分は画家より学者であると自負していたことにも頷けました。
柏木抄蘭・文学教室「三水花」主宰。平成3年「ブッダの垣根」で女流文学新人賞受賞、平成5年「檜扇」で北日本文学選奨受賞。著書に日本初の楽譜となる梁塵秘抄を編纂した後白河法皇と遊女の悲話を描いた長編「東雲に絶えでと謳え」、ゲーテの詩に誘われる大人の童話「薔薇言葉」、阪神大震災を題材にした「揺らぐ大地の上の小さな人間たち」など。宝塚市在住