11月中旬、紅葉を背景に史料館前で秋のお茶会が催される清荒神清澄寺。境内にある鉄斎美術館では「鉄斎−書簡が語る名作秘話−」の後期展示を観ることができます。 鉄斎の支援者を始め、家族や親交のあった人々にしたためた多くの書簡が今も遺されており、展覧会では作品と書簡や添状がセットで展示され、画に対する興味がそそられます。大阪商業大学で教鞭をとる学芸員の明尾圭造さんと名作を鑑賞、その稀有な才能から生まれる表現者としての鉄斎に改めて思いを馳せました。
私は大阪画壇を研究していますが、鉄斎の作品を観るようになったのは十年ほど前からです。元々古文書の研究をしていましたので賛を通して鉄斎の画にも関心を持つに至りました。
鉄斎は自らを画家ではなく学者と言っているように多くの知識や深い思想を持っていたわけですが、その思いを最も的確に表現できる手段が画だったのでしょう。
ですから、画には示唆に富んだ深い意味が込められていて、そこには学ぶべきことが多く、我々が自分の可能性を広げていくことにつながるような気がします。
鉄斎は独自の世界を持つ優れた思想家とも言え、未だ研究の余地を残していると思います。
展覧会では「富士山図」屏風が威容を放っていました。右隻には富士山全容が描かれ、左隻には全景から高速で頂上に迫ったような火口の図が描かれている。動的であるとともに細部に破綻の無い不思議な富士山図です。
京都の唐紙商・桜堂の柴田松園宛に「天長節に筆を携えて貴宅に伺いたい」との意向と「一日二日で揮毫の積り」という内容の葉書も併せて展示されていましたが、短期間でこれだけの大作を描いた集中力とともにこの屏風が部屋に飾られたことは驚きです。鉄斎の画は観る側の気力も充実していなければ受け止められない迫力がありますから。
鉄斎は40歳で富士に登り、23年後にこの画を描いたのですが、長い時間をかけて自分の中で咀嚼され、鉄斎の富士となって表現されているので日本画、洋画といったジャンルを超えているように思われますね。
「富士山図」左隻には鉄斎が尊敬する文人池大雅、高芙蓉 韓大年の三人と鉄斎自身と思われる人物が火口付近に描かれていて、その三人が富士登山をする「三老登嶽図」も展示されています。依頼者からの再三の催促に対し「普通の依頼と比すれば、決して遅くない」と返している書簡には鉄斎の人間味を感じました。
まだご覧になっていない方には、是非ともこの「富士山図」の迫力を体感して頂きたいと思います。
明尾圭造・1961年東大阪市生まれ。関西大学大学院博士前期課程修了。芦屋市立美術博物館学芸員を経て現職。日本近代文化史・大阪画壇を研究。共著書『モダニズム出版社の光芒』(淡交社)、『古地図で見る阪神間の地名』(神戸新聞総合出版センター)など。