国文学者 藤田真一さんと観る 富岡鉄斎没後90年 鉄 斎 ― 書簡が語る名作秘話 ―

国文学者 藤田真一さんと観る 富岡鉄斎没後90年   鉄 斎 ― 書簡が語る名作秘話 ―

 色づき始めた葉の間から銀杏の黄金色の実が顔を覗かせている清荒神清澄寺の境内。涼しい風が秋の空気を運んでくれます。鉄斎美術館では芸術の秋にふさわしく鉄斎の大作が並ぶ展覧会「鉄斎―書簡が語る名作秘話―」が開催され、六曲一双の屏風や四幅対の軸など見ごたえのある作品とともに制作意図や支援者との篤い親交を読み解くことができる書簡が展示されています。蕪村研究者である関西大学教授の藤田真一氏と前期展示(~10月13日、10月18日~後期展示)を鑑賞、最後の文人といわれる鉄斎の名作とその人となりに触れました。

名所図にも 鉄斎の精神性が窺える

 会場で目を引いたのは初めて観る六曲一双の屏風「名所十二景図」です。日本列島の九州から北海道までの風景が描かれているのですが、梅林が美しい月ヶ瀬や秋月が冴える更科のように歌に詠まれる名所もあれば、荒々しい富士山の火口を鳥瞰的な視点から描いた図やアイヌの人々が舟を漕ぐ日本海の奇岩ローソク岩もあり、いかにも鉄斎らしくて面白いと思いました。普遍的な美しい風景と言うだけではなく鉄斎が実際に歩き、知識と併せて感じとった精神性が十二景に見て取れます。併せて展示されていた十二景の挿絵貼の順番を書いた自筆の指示書は貴重な資料といえます。

 鮮やかな色彩の仙境図を三幅対に描く「寿山福海図」と扁額「寿山福海書」に添えられた書簡を見ると、鉄斎が支援者だった愛媛の海運業者、石崎平八郎(石崎汽船)の還暦祝いに、病をおして書画を制作したことが書かれていて、支援者の枠を超えた信頼関係が築かれていたことがよくわかります。
 後期には名作「富士山図」屏風が展示されるので、書簡からどんな名作秘話を知ることができるのか楽しみですね。

 私は鉄斎と同じく文人と言われる蕪村を研究していますが、蕪村は俳画を生み出したことでも知られるように、画業を生業としていました。鉄斎は「自分は学者であり、画家ではない」と語っていますが、生業としたのは画ですから、蕪村との共通点は多いといえるのではないでしょうか。書にも優れ、共に総合芸術家であった二人に焦点を当て、「蕪村と鉄斎—文人どうしの楽しみ—」をテーマに12月7日に聖光文庫でお話しさせていただきます。
※詳細は9ページを参照ください

国文学者 藤田真一さんと観る 富岡鉄斎没後90年   鉄 斎 ― 書簡が語る名作秘話 ―

藤田真一・1949年京都市生まれ。1980年大阪大学大学院(博士課程)卒業、86年より京都府立大学で教鞭をとる。2000年「蕪村俳諧遊心」で文学博士号を取得し文部大臣奨励賞受賞。01年関西大学文学部教授。12年「蕪村余響」でやまなし文学賞受賞。著書に「蕪村」(岩波新書)「蕪村余響」(岩波新書)など。

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