桜の開花が早く、葉桜になった鉄斎美術館前の淡墨桜を眺めつつ、「聖光殿」と揮毫された扁額に迎えられ中に入ると、美術館ではいつもと少し趣の異なる「鉄斎と謙蔵」展が開催されています。鉄斎の息子で東洋史研究者の富岡謙蔵生誕140年記念として催されている同展では、父鉄斎の画業に果たした役割や京都学派との関わりなどあまり知られていない謙蔵の足跡を当時の歴史と共に知ることができます。 日本画とテンペラ画を描く若き画家、金井良勝さんと前期展示を鑑賞、謙蔵の遺した資料を通して、鉄斎の画を観る機会を得ました。
高校時代に師事した絵の先生が「鉄斎美術館」は隠れた教材の宝庫だ、と教えてくれ、以来私もよく観に来ています。
今回の展覧会では東洋史学者の息子、謙蔵が鉄斎に与えた影響や親子関係、研究者としての存在を知り、興味が尽きませんでした。
最初に展示されていたのは、江戸後期の文人頼山陽の旧宅「山紫水明処図」。鉄斎がこの旧宅を借りていた明治6年に謙蔵が生まれたそうです。
謙蔵のコレクションとして中国辛亥革命により日本に亡命した考古学者羅振玉から贈られた唐時代の羊俑、かつて国宝に指定されていた「一神論」を謙蔵が書写した写本などが展示されていて謙蔵の趣向の一端を見る思いでした。羅振玉は帰国後、溥儀の家庭教師をしたそうで、また清の皇族愛新覚羅善耆から謙蔵と内藤湖南それぞれに贈られた貴重な「蘭亭叙書」など、展示物を通して当時の日中文化交流の歴史が身近に感じられます。
旧富岡文庫コーナーには謙蔵が中国から持ち帰った、寒山拾得図や東坡笠屐図の拓本などがあり、それをもとに描いた本画も展示されているのですが、鉄斎が描くと筆の勢いのある独自の画風になっているのがわかります。
東坡の赤壁賦を画題にした「前赤壁図」と「赤壁四面図」はとても印象に残っています。構図、墨による波の表現、代赭と緑青の色使いも絶妙。謙蔵亡きあと、鉄斎の忘年の友となった湖南、長尾雨山ら京都学派といわれる人達によって東坡を顕彰する赤壁会が開催され、鉄斎も発起人の一人として参加、この二図を短時間で描きあげ、贈ったと聞きましたが、完成度が高くとても信じられません。
私は日本画と洋画の古典画法に魅せられ、墨を使った独自のテンペラ画を描いていますが、鉄斎の画を観ると墨の力を改めて感じることができます。こんなに近くで気楽に名画が観られるのですから、子ども達にもぜひ見せたいですね。
金井良勝・1974年川西生まれ。98年京都精華大学日本画専攻卒業。2001年上野の森美術館大賞展。03年李暁剛氏にテンペラ画を師事、06年白日会初入選(以後毎回)、12年白日会準会員。画家として作品発表するとともに「ぽれぽれ絵画教室」を主宰し、指導に当たる