35周年を迎えた鉄斎美術館では今春、開館35周年記念特別展が開催され、《富士山図》や《阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図》(重文・辰馬考古資料館蔵)など大作の数々が並び、多くの来館者が訪れました。今秋は9月7日から35周年記念展の最後を飾る「鉄斎-用印のすべて-」が開催され、これまであまり見る機会のない、画に押された印が画とともに展示されています。鉄斎は自ら「印癖有り」というほどで、亡くなった時手元には385顆の印が遺されていました。美術家で地域の文化活動にも携わっている大野良平さんと、鉄斎の印へのこだわり、印姿、印影の面白さを探ってみました。
鉄斎美術館は宝塚造形芸術大学(現宝塚大学)の博物館学の授業で何回か訪れています。前館長で大学の講師をされていた故村越英明先生の講義の実習でした。僕は彫刻を専攻していましたが、高校時代に富士の火口を描いた「富士山図」を観て以来、鉄斎はインプットされていましたね。村越先生に「あくまでもアーティストを目指して頑張れ」といわれたことを思い出します。
35周年記念の掉尾を飾る展覧会は、鉄斎が使った落款印や遊印が展示され、画と印のコラボが楽しめるユニークな展覧会で、興味がありました。展示されている画に捺された印は、鏡で印面が見えるようになっていて、印姿や印文、印影からなぜ鉄斎がその印にこだわり、手ずから捺したのか、が解ってきて画への興味も増します。定形にしばられず印を捺しているのが、奔放な鉄斎らしく面白い。そして、印影が画の一部になっています。
桑名鉄城や園田湖城という著名な篆刻家に依頼したものも多いですが、鉄斎が自ら刻した印は味わい深く印象に残りました。
自刻印は51顆あるそうです。《大布放賭図》(第1回展示)は大黒と布袋が双六をしているひょうきんな画で、竹の根っこに刻された変わった自刻印が落款印として捺されていましたが、天真爛漫な鉄斎の人柄が伝わってきました。
《薬王菩薩像》(第1回展示、左上の写真)に捺されている美作誕生寺の遺材で作った大きな六角形の印、虫食いのある木に刻された印など、鉄斎にとって印文はもちろん、印材にも意味があったのでしょう。僕が震災後、倒壊した我が家の廃材で作品を作ったのも、木の記憶を伝えたかったからです。
自然石や木の素材を生かした印姿、獅子や象や亀などの鈕、中でも扶桑木という植物化石に刻された印は珍しいものでした。
第2回には「雲龍図」に捺された印面21センチ四方の青磁印が展示されるので楽しみです。
大野良平・宝塚市生まれ。
1987年に創立した宝塚造形芸術大学(現宝塚大学)の1期生。今村輝久教授に彫刻を師事。震災後10年目にサンビオラの空き店舗で再生をテーマに「宝塚現代美術展・店」を開催。武庫川の中州に石で「生」の文字を描いた。その風景は2008年に出版された宝塚在住の作家、有川浩氏著のベストセラー「阪急電車」の題材にもなっている。