強い日差しを遮る緑陰に風が流れる清荒神清澄寺の境内を抜け、悠然と佇む鉄斎美術館へ足を運ぶと、そこでは9月25日まで、「鉄斎-粉本に見る学びの跡Ⅱ-」が開催されています(8月31日まで夏季休館)。師を持たなかった鉄斎は文人を始め多彩な分野、流派の画を摸写し、多くを学んだといわれています。粉本と称される貴重な摸写や資料は年1回公開され、鉄斎の学びの跡を辿ることができます。陶芸家で自然の中のエネルギーの流れを器やオブジェに表現している鍛治ゆう子さんと前期展を鑑賞、摸写の中にも鉄斎の創作姿勢を感じ取ることが出来ました。
鉄斎の摸写は、技法を学ぶためや原画筆者の意図を汲み取るためだけではなく、自分自身の内に取り込み、それを熟成させ、アウトプットしているように思えます。19歳の時に描いたという「劉玄徳像」は忠実な摸写ですが、年齢とともに自分の興味に沿って摸写されていて、鉄斎流の摸写になっているのではないでしょうか。
原画をピンポイントで写しているのも特徴ですね。伊藤若冲の「糸瓜群虫図」は糸瓜の線の流れのみを写し取っていますし、池田で暮らしたという連歌師、牡丹花肖柏の写しは池田の大広寺の木像を実際に見て描いたそうですが、全体像の横に更に顔だけ2つも描かれています。
それをもとに描かれた本画「隠士牡丹花肖柏像」の肖像が摸写とだいぶ異なっているのにも想像が掻き立てられます。
小田海僊の「大黒天図」の摸写がもとになり、鉄斎の自由な筆によって本画「大国大神神影」が描かれたことが目の当たりにできるのもとても新鮮です(左上の写真、鍛治さんの後ろ)。
原画のパネル、摸写、本画が展示されていると比較ができ、粉本展を私も興味を持って観ることができました。
鉄斎は様々な分野や流派の作品を摸写していますが、実は美術品の目利きを頼まれることも多く、美術愛好家に画を紹介したりするときに、その絵を摸写したそうです。また、この展覧会に展示されている「詩仙堂略図」の詩仙堂や「牛祭図」(原画・浮田一蕙)の牛祭などの復興に尽力したと聞き、私が知る画家、鉄斎の違う一面にも驚きました。
晩年まで摸写を続けた鉄斎の創作への執着と衰えない好奇心。それは紛れもなく創作の原動力であり、その姿勢こそがアーティストのアーティストたる原点です。
▲鍛冶ゆう子・大阪大学文学部美術科卒業後、オーティス・パーソンズ・スクール オブ アート&デザイン大学院修了、1996年初個展、97年女流陶芸展毎日新聞社賞を始め朝日陶芸展、日本陶芸展など多数入選、07年作品集出版、09年尼信博物館で個展、10年大阪工芸展美術工芸大賞。川西美術家協会