初詣に訪れる人で賑わう清荒神清澄寺。晴れやかな五色の幕が張られた本堂と天堂に、今年の無事を願って手を合わせます。境内にある鉄斎美術館では1月8日から企画展「鉄斎の器玩-名工と遊ぶ-」が開催され、多くの人が参詣後に訪れています。器玩は鉄斎が絵付けをしたり、詩文を書いた煎茶道具を中心に、文具や火鉢などが展示され、おめでたい画題の作品や鉄斎の愛用品も観る事ができます。野の花をテーマに独自の技法で描くイラストレーター片山治之さんと、鉄斎の遺した名工との合作を鑑賞(前期展示)、鉄斎の遊び心と文化の豊かさに触れました。
鉄斎が絵付けしたり、詩文を書いた工芸品を初めて観ましたが、驚くことばかりです。普通の人には出来ない発想が随所にあって面白い。京の指物師で鉄斎の道具類も作ったという中島菊斎との合作「赤松扇形菓子器」は木製の扇型の菓子器の内側に鮮やかな緑青で松が描かれていて、それが器からはみ出さんばかりです。形の面白さに鉄斎の遊び心がくすぐられ、描かずにはいられなかったような気がします。器局の底以外の5面に花々が描かれている「蘭菊図器局」は、全ての面が観られる展示になっているのですが、それは正に鉄斎の宇宙、天地のように思えました。陶芸家、諏訪蘇山との合作、「富士山形香炉」も発想が面白く、名工との合作は鉄斎によって新たな作品に生まれ変わっていますね。
陶芸を嗜んでいた夫人の春子さんとの合作は、名工の作品とはまた異なった、温かな味のあるものになっていて、鉄斎の違った一面を垣間見るようです。この展覧会では外套や杖、鞄、補聴器など鉄斎が愛用していたものも展示されているのですが、そのひとつ、鉄斎が竹の画を描いた布団にはびっくりしました。鉄斎にとっては何でもが創作の対象になり、それを楽しんでいたんでしょう。自分が描きたいものを描くのが芸術であり、ルールがないのが芸術です。鉄斎の作品を観ていると藤田嗣治がフランスに旅立つときに遺した「日本の画壇が大人になることを望む」という言葉が浮かび、派閥や権威を重んじる日本の画壇から飛び出し、描きたいように描き、西洋で認められた藤田を思い出しました。
私の描く野の花は墨の濃淡で表現する黒、灰色、白だけの独自の世界ですが、何の制約も無く描きたいものを描きたいように描いています。展覧会で鉄斎が自由奔放に描いた作品に触れ、芸術の原点を見た気がします。そして、現代にはない文化の豊かさと知性を感じました。
片山治之・朝日新聞デサイン部で長年、挿絵やイラストを担当し、,98年に50歳で早期退職。
その後、墨で描く「野の花」をライフワークとし、個展を開いている。朝日カルチャーセンターで水彩画を指導。朝日新聞第2ひょうご版に「野の花通信」を連載し、夫人がコメントを担当。豊能町在住。