今年、開館35周年を迎えた鉄斎美術館では、3月18日から5月9日まで鉄斎美術館開館35周年記念特別展が開かれています。前期「鉄斎の富士」では、89歳までの画業60年間に繰り返し描かれた画題である富士山をテーマに23点の作品が展示され、4月14日からはじまる後期「鉄斎-豊潤の色彩-」では、水墨とは趣を異にする色鮮やかな名品15点を観ることができます。朝のラジオ番組が放送35周年を迎え、その巧みな語り口に多くのファンを持つ浜村淳さんと、淡墨桜が満開の鉄斎美術館を訪ね、鉄斎と融合するひと時を過ごしました。
前期 鉄斎の富士
後期 鉄斎−豊潤の色彩-
私は鉄斎と同じ京都の出なので、身近に書や画を観る機会があり、大いに関心を持っていました。私がラジオで紹介している古社名刹巡拝の旅という週刊グラビア誌の34号に清荒神清澄寺と鉄斎美術館が取り上げられていましたが、番組「ありがとう浜村淳です」と同じ35周年の節目にその鉄斎美術館に来ることができたのは奇遇です。
鉄斎は実に多くの富士山を描いているんですね。実際に富士に登ったのは生涯一度、明治8年、40歳の時で、その直後に描いた「登嶽図巻」(前期展示)には火口に鉄斎と思しき人物が描かれ、跋文には「仙人になった気分を誰が知ろう」というようなことが記されていてユーモア精神を感じます。
以後、89歳まで富士を描いているということはさまざまな知識と共に心の中で熟成させていったのでしょうか。
大作が多い中で、ひとつの軸に惹かれるものがありました。「三老登嶽図」(前期展示、左上写真、浜村さんの左)は鉄斎が崇敬する江戸の文人画家・池大雅、篆刻家の高芙蓉と書家の韓大年が意気投合して共に富士山に登ったという話を基に描かれた作品ですが、富士を背景に三人の人物が楽しげで、自然と人との融和のようなものを感じさせてくれます。鉄斎の画は山水画であっても人物が配されていて、自然の豪壮雄大さと共に人間の温もりも感じられるのがいいですね。鉄斎は人間味のある人だったのではないかと想像します。
後期では古美術の蒐集でも知られる文豪・川端康成が持っていた鉄斎筆「蝦夷人図屏風」や「茶寮名物画冊」も展示されるそうです。川端の自筆の題字などを見るとかなり影響を受けたと思われますね。
豊潤な色彩をテーマにした後期の展示。中でも群青と朱が際立ち、画の中の道を辿ってみたくなる見事な構図の「群僊集会図」(右上写真)をじっくり観たいものです。
浜村淳・1935年京都生まれ。
同志社大学卒業後、東京の渡辺プロに所属、司会業を皮切りにタレントとして活躍。
吉本興業を経て、現在昭和プロダクション所属。
74年から放送のMBSラジオレギュラー番組「ありがとう浜村淳です」パーソナリティ、NHKラジオ「かんさい土曜日ほっとタイム」のオススメ映画情報など。映画評論家。近著「さてみなさん聞いてください 浜村淳ラジオ話芸」