清荒神清澄寺にある池苑の端に11月9日に史料館がオープンしました。寺の歴史や行事のパネル展示のほか史料館では記念の「荒川豊藏展」が12月14日まで開催され、志野茶碗などが公開されています。 鉄斎美術館では、生涯500余種の印を用い、自ら「余に印癖有り」と言った鉄斎の用いた印とその印影や印姿が作品と共に楽しめる展覧会「鉄斎―印癖を娯しむIV―」が開催されています。雲雀丘に住む画家でプリミティブな生命力を表現している森本紀久子さんと鉄斎のマニアぶりが如実に表れた印の数々、また作品とのこだわりを娯しみました。
子どもの頃、祖母について荒神さんの月詣りに行くのが楽しみでした。参道には蝮を売ってる店や大道芸もあって、蝮に卵を飲ませるのを見たり、鳴り釜をワクワクして見ていました。境内の講堂横にある陳列所には鉄斎の作品が展示されていたので子ども心にも面白い画や書だなと思って眺めていました。父が書く端正な書とは全く違っていたのが印象的でしたね。
子どもの頃から枠にはまったことが嫌いで、鉄斎の画面を埋め尽くすような大胆な筆と、その自己主張に惹かれたのではないかと、今にして思います。
この展覧会では印影を間近に見ることができますが、その多様さに驚かされました。500種も印を用いたというのですから、今で言うならオタクですね。鉄斎は自分のことを印癖あり、と言って自慢していたような気がします。
私は古い民具や蝉に興味があって、集めてはそれを表現の手段として作品を作っているので、鉄斎が興味の対象に出会った時の高揚感や印を選ぶ時のワクワク感が伝わってきます。
そして、こだわりの印でも、ずれたり逆さまに捺したりしているのは、また鉄斎の自由奔放なところ。
万里の道を歩いた鉄斎らしい「足蹟遍天下」という引首印が捺された「三津浜漁市図」(前期展示)や「文人多癖」の引首印が捺された「能因法師図」(前期展示)は上から見た構図が面白く、人物がいきいき描かれています。法師がガラクタとも言える木片や蛙の干物を見せ合っている図は多癖の鉄斎ならではの画ですね。
神社の楼門の遺材を使った10センチ四方の木印、漢の瓦を模刻した直径14センチの大きな磁印も目を引きましたが、画帖に捺された印の印章が展示されている中に、亀や獅子に交じって蝉の鈕があり、惹きつけられました。中国、ペルシャあたりでは再生の意から蝉を模ったものを死んだ人の口に入れる風習があって、私が興味を持ったのも地上に甦る不思議な力を感じたからです。
長生きしたからこそ、素晴らしい作品を残した鉄斎のように、老いても収集癖を持ち続け、さまざまな出会いから芸術を創造していきたいものです。
森本紀久子・1940年大阪生まれ。
59年雲雀丘学園卒業後、金沢市立美術工芸大学彫刻科入学。第48回二科展に初出品し特選。64年同大学卒業。82年第5回ジャパンエンバ美術コンクール優秀賞受賞。87年四天王寺大学教授に就任。数多くの個展やグループ展に発表