水墨画家 潮見冲天さんと観る「鉄斎の粉本—画想の源泉・摸写III—」

水墨画家 潮見冲天さんと観る「鉄斎の粉本—画想の源泉・摸写III—」

夏、恒例となった鉄斎の粉本展が7月2日から鉄斎美術館で開催されています。粉本という言葉のルーツは中国にあり、画の原稿や下絵、また画の研究や修学のために摸写したものを指し、絵師の手控えとして欠くことのできないものでした。特定の師を持たなかった鉄斎は夥しい数の摸写を遺していますが、それらの粉本を基に鉄斎芸術が生み出されたともいえます。宝塚墨彩画壇の代表であり、南画の継承に力を注ぐ水墨画家、潮見冲天さんと南画の原点に立ち返る「鉄斎の粉本ー画想の源泉・摸写IIIー」を鑑賞しました。

技を超えた画の心を伝える

画家にとって構図や色彩、技法を勉強する上で名画の摸写は欠かせないものですが、鉄斎の粉本は丹念に写し取っているものから、興味の対象だけを写しているもの、輪郭だけ写し色や衣の柄を覚書として描いているものなどさまざまで、我々のもつ摸写のイメージとは全く違っています。藤田美術館に収蔵されている元末の文人、黄大癡作「天池石壁図」(前期展示)や汪作「秋景山水図」(同、左上の写真、潮見さんの右後方)は鉄斎の作品か、と見まがうほどで、命が吹き込まれていると言うか、力強さがあります。

でも、よく見ると紙がつぎはぎで、「銕叟蔵」の印や落款には摸写を意味する「臨」が記されています。学芸員の方に伺うと、鉄斎は藤田家から「天池石壁図」の由来などを記す箱書を頼まれたということなのでじっくりと画の心まで描き写すことができたのでしょう。

万巻の書を読んだという鉄斎は原画の画想に興味があるもの、作者の生き方に共感したもの、また敬愛する人物を写しているのであって単に技法や構図を学ぶためだけに写したのではないことがわかります。写す対象の歴史や季節、時間を意識して描いている。南画とは本来、技を超えたところにある内なる境地を表現する画であり、鉄斎は南画を勉強するものにとって大きな存在です。私の師である西田王堂先生は鉄斎の南画を受け継いだひとりだったのではないかと思います。5年前に南画を志すものが集まり宝塚墨彩画壇を結成したのも宝塚に南画の拠点となる鉄斎美術館があり、その心を受け継いでいければとの思がありました。

粉本展では、鉄斎の「南画論」に見るように分野や様式を問わず古画を摸写することにより、画格筆意を研究、自身の画想の源泉とした南画の原点に立ち返ることができました。

水墨画家 潮見冲天さんと観る「鉄斎の粉本—画想の源泉・摸写III—」

▲潮見冲天・1997年、文部大臣賞を受賞。04年、宝塚墨彩画壇を創立、代表となり、冲天画塾を主宰。カルチャー教室の講師を務める。現在、(社)日本南画院常務理事・審査員並びに宝塚日本画協会に所属、09年より市展審査員。著書は「花いろいろ」「花鳥風月」「花の譜」等。作品の一部は守口市現代南画美術館に所蔵

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