木々の緑が目にも鮮やかな清荒神清澄寺。緑風に吹かれながら境内の奥に佇む鉄斎美術館へ。同館では5月16日から鉄斎の書の展覧会が開催されています。 文人画家としてのみならずその書の評価も高く、自身も「今弘法大師が居られたらワシと書道の話がよう合うじゃろうが・・・」と語ったと言います。 3月まで伊丹市立美術館館長を務め、本誌「アート見聞記」の執筆者でもある坂上義太郎さんと鉄斎のバラエティに富んだ奔放な書を堪能しました。
鉄斎の書だけを集めた展覧会は鉄斎美術館にしかできない極めて貴重な展示だと思います。私の専門は日本の近、現代美術で絵画が中心ですから、書をじっくり鑑賞する初めての機会となり、鉄斎の書にカルチャーショックのようなものを感じました。
昭和50年4月に開館した鉄斎美術館の展示目録の中に大正天皇即位を祝して書かれた「萬歳書」があり、実物(左上の写真・坂上さんの左後、第1回展示)を是非観たいと思っていました。作品の大きさにも圧倒されますが、紙の上部に大胆に書かれた萬歳の文字は勢いがあり、気持ちが先行しているのが読み取れます。喜びの感情が筆の勢いに表れていて鉄斎の息遣いが聞こえてくるかのよう。空間処理も巧みで、余白の美を感じさせます。
畳の上で書かれたようなかすれも面白く、にじみなども気にしないところがまた、鉄斎らしい奔放な書と言えますね。
珍しい拓本も何点か展示されていますが、京都では神社仏閣の門前に鉄斎が書いた碑文がしばしば見られるようです。知恩院の山門脇にある前田正名記念碑の拓本(第1・3回展示)は鉄斎と親交のあった経済官僚で、官を辞してからは全国を行脚し、地方産業の振興に努め「布衣の農相」といわれた前田正名に敬意を表して書かれたものだそうですが、人物画にも書にも鉄斎の正名に対する純粋で熱い思いが込められていることが伝わってきます。
冠位に拘らない鉄斎の人間関係には惹かれるものがありますね。
また、展覧会の企画を長年してきた経験から構成にも関心を持って観ましたが、単調になりがちな書の中に拓本を入れたり、並べ方など随所に観るものを飽きさせない工夫が感じられました。
最後に展示されていた「火用慎」(第1回展示)には「慎は自らの創意である」と書いてあり「なるほど…」とその遊び心に気持ちがほぐれました。書の展示で人間鉄斎にも触れることができるとは思ってもみなかったことです。
▲坂上義太郎さん
1946年伊丹市生まれ。69年関西大学経済学部卒業後伊丹市役所入所、83年仏教大学博物館学芸員課程修了、84年(財)柿衞文庫学芸員を経て市立美術館創設に尽力。2006年市立美術館館長、07年伊丹市役所定年退職。博物館問題研究会会員、近畿大学非常勤講師など。