上前智祐は、前衛美術家・吉原治良が創設した「具体美術協会」の創立会員であり、一九七二年の解散まで在籍しつづけた数少ない会員の一人です。九二歳を迎えた今もなお、明石海峡大橋を臨む舞子のアトリエで、新しい美術表現に挑んでいます。
一九二〇年に京都府中郡(丹後半島)に生まれた上前は、十代から独学で南画や洋画を学び、一九四七年に「第二紀会」(現・二紀会)第一回展に入選。一九五二年に吉原治良の作品に感銘を受け、一九五四年に具体美術協会結成に参加。同協会の解散後もその精神を受け継ぎ、精力的に創作活動をつづけています。
上前は、吉原に師事して以降、一貫して非具象絵画を追求しています。絵具を丹念に積み重ねた緻密な点と線による油彩画、マッチ軸を支持体に塗り固めた絵画、黒木やオガクズを使ったオブジェに加え、一九七五年頃からは、布に運針を施す独創的な〝縫い〟の作品を制作。また、一九八〇年頃より始めた版画制作は現在もつづいており、同じ版を用いて様々な配置や配色を試みるなど、日々研鑽を重ねています。
気の遠くなるような時間を積み重ねた、綿密な手作業による上前作品は、観る者を静かに圧倒し、かつて師・吉原治良が述べた「具体美術に於ては人間精神と物質とが対立したまま、握手している。物質は精神に同化しない。精神は物質を従属させない。物質は物質のままでその特質を露呈したとき物語りをはじめ、絶叫さえする。物質を生かしきることは精神を生かす方法だ。」(「具体美術宣言」藝術新潮 一九五六年十二月号)という言葉を具現化しているといえます。
また、上前の制作にかける情熱と真摯な姿勢は、決して絵を売ることを目的とせず、定年まで過酷な労働に従事しながら、自身のためだけに制作をつづけてきたことからも窺えます。京染洗張り店での奉公に始まり、沖仲士、鋳造所・製鋼所のクレーンマンとして働いてきた上前は、その先々で得た経験や感動を作品に昇華させることで、独自の美を生み出しています。
本展では初期の具象絵画から後年の非具象絵画、縫い、立体、版画作品より精選した作品群を展観し、具体時代を経て、今なお進化しつづける「上前智祐の自画道」に迫ります。