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追悼 元永定正さん 2011年10月3日逝去(88歳)

追悼 元永定正さん  2011年10月3日逝去(88歳)

具体美術協会 ,元永定正,ミシェル・タピエ

 宝塚市在住で、戦後、関西を拠点に活動した前衛美術家集団「具体美術協会」の中心メンバーであった画家・元永定正さんが先頃亡くなられました。
 かつて元永さんは、一九五五年に芦屋市の芦屋川の川沿いの松林で行われた「具体」の野外美術展について、次のように回顧しておられた。

「元永君、君も何か出品しろと吉原治良先生に誘われました。それまで、セールスマンや社交ダンスの先生、新聞の拡張員をしながら絵を描いてました。何を出したらいいのか、下見に行きました。何か面白いものをと思っていたら、松林の奥の方に、水道の蛇口がパッと目に入ったんです。あ、これはええなと思った。水はただやから。当時は、ほんまにお金がなくて、家賃を払うのも大変だったんです。その蛇口からバケツに水を汲んで、人に貰った赤いインクで色をつけました。十円かそこらでビニールを買ってきて、中に色水を入れて松の枝に先ず一個ぶらさげました」(〈追憶の風景〉朝日新聞二〇一一年二月十五日)。これが、世界で初めての水による彫刻作品誕生の秘話である。

 一九五七年に来日したフランスの美術評論家ミシェル・タピエにも作品を激賞されたり、ニューヨークに、奥さんでもあり造形作家でもある中辻悦子さんと一緒に留学することで、海外の美術界にもその名を馳せる。

 あるパーティーで作家が「先生、この頃スランプで絵が上手く描けないんです」と言ったら、元永さんはいつになく激しい口調で「あんた、一日何枚位描いてはるんや。僕は毎日脳みそから血が出るほど考えて、数え切れない位描いてるで」と一喝した。そうかと思うと、「アートは、後(あと)で考えたらええんです。芸術は、我流が大切です」とユーモア溢れる芸術観を語られていた。

 昨秋、大阪の某銀行の、学生を対象に公募するカレンダーの審査会場でご一緒した時、元永先生の鋭い視線による審査の模様がまぶたに焼き付いて離れません。元永先生のご冥福をお祈り申しあげます。

伊丹市立美術館 宮ノ前 072(772)7447
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