今私は、1998年に京都のアートスペース虹での個展の際に出された森本紀久子(宝塚市在住)の冊子に目を留めている。その中に、最近亡くなられた美術評論家針生一郎氏が、森本との出会いについての文章を寄せている。「森本と私の出会いは1963年北陸中日展で、彼女が大賞となった時である。授賞式に現れた彼女はまだ金沢美大の学生だったが、未開人の偶像・呪物・装飾に似た極彩色の形象を画面一杯羅列するその作風は、日本人離れして十分に新鮮だった(後略)」
「ベルリンの壁が崩れた時に、版画家神野立生氏の“揺れる壁”というテーマで、恐ろしいタペストリーをつくりました。“揺れる壁”は、舞台やセッションで動きまわる内に〈危険なかたち〉(詩人日髙てる子女史のネーミング)へ変貌しました」という森本の案内状に誘われて、西宮市内の個展会場を訪ねた。
展覧会場には、1986年から2011年に亘る作品十点が展示されていた。「考えてみると、太陽神(母神)を描きつづけてきました。メキシコの太陽神殿の太陽神(母神)は、水晶で制作されています。水晶の中に人間の骸骨が彫られています」と語る森本は、左巻に例えられる太陽神(図版)に無数の骸骨を絵画化している。森本は、太陽神を制作する時は、息を止めて描き、細部を描いていると自然に自分の心電図になっているのだそうだ。興味深い話である。
何れにしても森本の作品は、画面一杯に細密描写を繰り広げて独自の感性を造形化しているように映った。その造形には、プリミティヴな創造が窺える。「太陽神図を千点制作する予定です。現在約三百点制作しました」と熱く語る森本の今後の展開に眼が離せないと実感させられた個展だった。