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宝塚ゆかりの作家の回顧展を観て

宝塚ゆかりの作家の回顧展を観て

色彩交響楽を奏でる小出卓二の世界

 2010年10月、私は翌年1月30日まで開かれている宝塚ゆかりの作家、小出卓二の展覧会を臨いてきた。展覧会のネーミングのように、小出は赤い色彩を多くの作品に活かしている。神戸港や大阪港、淀川河口近辺などを画題とし、阪神間を中心に、日本各地の風景画を多く描いていた小出。

 展覧会図録には、次女・文子が「父 小出卓二について」を寄せている。その中の文章を少し紹介したい。

 生まれて間もない赤ん坊の頃に、父親の転勤の為に、九州から大阪への長旅が原因で、きつい内斜視となり、当時の医学ではどうすることも出来ず、常に一つの物の上に重なる様に、もう一つの薄い、弱い映像が見え、緻密なデッサンやスケッチをする上で、大きな障害となり、神経を悩ませたようです」

 私は、初めて小出の眼が不自由だったことを知った。小出の多くの作品には、独自の画面構成や独特の色使い、堅固な意思によるストロークが窺える。どの作品にも小出の色彩交響楽が奏でられていて、眼の不自由さなどは、微塵も感じられない。

 1948年逆瀬川に建てられたアトリエは、一家総動員で作られ、終の住処となった。そのアトリエの庭には、妻・三喜子が花を育てていたこともあり、夏になると家族揃って、庭へ食卓を移し、夕食をともにしていた。その庭で動物好きな小出は、犬や猫をモデルにスケッチしていたらしい。

 だが1966年に脳梗塞で倒れ、左半身不随となり、その後は自宅中心での作品制作を余儀なくされる。図版の神戸ゆかりの美術館所蔵《神戸港(ポートアイランド)》(1975年頃)は、ポートアイランドから夕方の神戸港を描いている。夕景の画面に、観る者をして暮れなずむ時に誘引させる赤と黄の色彩が際立つ。1977年は、脳梗塞が再発し、入退院を繰り返している。入院中の話に、ベッドに横たわる小出が意識朦朧のなかで、空に向かって手を動かしていたという逸話がある。胸を打つ話だ。

 戦後の再出発を宝塚の逆瀬川アトリエで切った小出卓二の画業を辿れる好企画の展覧会だ。展覧会関係者の労に、敬意を表したい。

 
 

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