4月始め、爛漫のさくら花の土曜日、宝塚市内の武内ヒロクニさん(1937年、鹿児島県徳之島生まれ)のアトリエを訪ねた。アトリエの庭の春の草花が私を歓迎してくれた。
私が武内さんを訪ねる契機となったのは、昨年の9月に光人社から発行された『しあわせ食堂』(武内ヒロクニ+毎日新聞夕刊編集部)を入手したことによる。この単行本は、2006年4月から2009年3月にかけて150回毎日新聞(夕刊)で連載された「しあわせ食堂」の挿絵を描いた武内さんの絵から厳選されたものである。
挿絵の内容は、各界の著名人が食にまつわる思い出を、「電動ハブラシ色鉛筆党」党首を自称されている武内さんが色鉛筆の描画により、異彩を放っている。
神戸にあるギャラリー島田の島田誠さんは、単行本の序文に次のような紹介をされている。
「(前略)食べるまえから、見るまえから満腹、食傷気味のTVのグルメ番組や、雑誌の『××料理特集』などという小奇麗で小賢しい情報の氾濫をぶっ飛ばし、3年間、150回にも及ぶ連載を成し遂げたのは、『生きる』ということと『食らう』ということが密接であった時代の濃密な記憶と、その時代の底辺をしたたかに生き抜いたヒロクニの色鉛筆のパワーなのだ」。
『しあわせ食堂』の頁を繰ると、田辺聖子さんの「お好み焼き」、藤田まことさんの「おにぎり」、中村吉右衛門さんの「のり弁当」や児玉清さんの「トウモロコシ」などの挿絵が目につき、色鉛筆パワーにユーモアと心地よい刺激による味付けが絶妙で食べ切れないうまさだ。
武内さんは1945年に一家で神戸へ移り、高校を中退し“街”を徘徊していたとのこと。その後、地方展での受賞を機に画家をめざし、淡路島へ遊学したり、1965年には神戸の現代美術集団「グループ位」の創立に参加するなど精力的に、独創的な作家活動を展開。
そして1971年には神戸三宮でロック喫茶「VOXヒコーキ堂」を開店。ここを拠点に、その時代を挑発するカウンターカルチャーを繰り拡げる。ところが、'70年代後半にロック喫茶を畳み、作家活動を再開するといった破天荒で波乱万丈の人生を今も実践している。
穏やかに、自己の半生を淡々と語る武内さんに、そんな紆余曲折な道程は微塵も感じられない。帰り際に、「私には絵だけなんです。絵しかないんです」と語る背後に映る色鉛筆の主人たる武内さんの瞳に私は魅せられていた。