「馬・海・帆船・壮大な空、それにバレリーナ……。およそ生ぬるいものが性にあわない私は、遂にこれら動感にみちたモティーフに魅入られてしまった。とりわけ馬に至っては、何度描いても描いても尽きることなく形を変えて、私の筆を動かさせるのです」と書かれた文章が寄せられている『中畑艸人画集』の頁を、今私は繰っている。図版の最初は、〈惨!! ’95 一月十七日〉(1995年)である。
画面は、先の阪神淡路大震災を題材とし、馬7頭による阿鼻叫喚の場面だ。7頭の馬は画面左の炎に包まれ、逃げ惑っている。画面左右には負傷し、必死の形相の馬が描かれている。他の馬も助けを求めたり、画面右上部の黒煙が象徴するように、眼前の惨状を後向きの馬たちはみつめている。画家中畑艸人自身も、この震災後に体調を崩している。
半世紀にわたり、国内外の馬産地を取材し、躍動感溢れる雄大な駿馬たちを描きつづけた「ウマカキガカ」中畑艸人。中畑は、和歌山県に生まれ、1938(昭和13)年和歌山の高等女学校の教職を抛ち、洋画家硲伊之助を頼って上京し、油彩画に転向する。
1950年代頃から馬を題材とするようになる。1953年、第15回一水会展に〈装蹄場〉や〈帰馬〉を出品以後、生涯にわたり同会に出品しつづけている。宝塚には1973(昭和48)年にアトリエを構え、終の住処としている。
今一つ、私は今回の出品作でもある〈夢幻〉(1994年)が興味を引いた。ケンタウロス同士や人間とケンタウロスの闘争。中畑は、今も中近東で繰り広げられている戦争に想を得たのではないだろうか。異色の作品だ。常に、世の中の動きにも関心を寄せ、馬に借りて作品へ自身の創作姿勢を託している。
そんな中畑が亡くなり、早や10年。生前に、一水会展などに出品した作品群を宝塚市に寄贈。宝塚市では、中畑没後10年を記念し、展覧会を開催するという。画面に漲る迫力、ダイナミックで、スピーディーな駿馬たちに出会えることを楽しみにしている。
中畑艸人(なかはたそうじん)プロフィール
1912年(明治45) 7月11日、和歌山県生まれ
38年(昭和13) 硲伊之助画伯に師事
39年 第3回一水会展に出品(以後継続して出品)
53年 第15回一水会展に「装蹄場」「帰馬」が優賞
55年 第11回日展に「発走迫る」を初出品し特選
64年 渡欧、70年渡欧米
75年 那智山青岸渡寺三重塔壁画献納
79、80、81年渡欧(米)
86年 第1回現美展に「みちしほの礎」出品
(以後継続して出品)
88年 JRA日本中央競馬会馬事文化賞選考委員。
89年(平成元) 「優駿讃歌・中畑艸人展」に24点出品
90年 「優駿讃歌・中畑艸人作品集」(京都書院)発行
96年 「中畑艸人画集」(生活の友社)発行
99年 9月27日宝塚市にて永眠。享年87歳