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辻 司 展 曼荼羅の道 ラダック紀行

辻 司 展 曼荼羅の道 ラダック紀行

曼荼羅の道を求めて

  今私は、5月13日から池田市にある画廊ぶらんしゅで個展を開く辻司さん(宝塚市在住)の案内を手にしている。その案内に次のような文章が寄せられている。

 「彼の地(西チベット)訪問は1979年だから30年前になる。今もってその印象が鮮烈に甦ってくるのは何故なんだろう。苛酷な高地の大自然の中で人々は強靭に這い蹲って懸命に生き、素晴らしい密教文化を育んできた。(中略)このシリーズを描き続けて10年余り、画想が醗酵するまで20年の歳月が流れたわけですが、自分自身2つの癌を克服し、余命をいただいた喜びと共に、やっと昨年9枚の曼荼羅を完成しました。(後略)」

 周知のように曼荼羅とは、仏や菩薩の多くの像を一定の様式で描いた図像のことである。
 辻さんは「西チベットの文化に触れ、文明社会が置き忘れたものを取り戻したような、粗野ながら高質な原石を掘り当てた興奮を憶えた」と当時を回顧される。何れにしても、近年の曼荼羅作品(図版)や菩薩作品(図版)は、暖かい茶色と土俗味のある朱色が基本の色調になっている。しかも、その殆どが大作で占められている。

画家として教育者として活躍
 さて辻さんは、大阪市立美術館地下に設けられている大阪市立美術研究所に、半世紀以上関わっておられる。(因みに、研究生として24年、講師として35年)「研究生時代、京都の洋画家須田国太郎氏から、デッサンを厳しく批評されたことが今も思い出される」と懐かしく語られる。
 また1971年にスペインへ遊学し、1年ほど滞在。その間、「火宅の人」で知られる小説家・壇一雄や安井賞受賞画家鴨居玲らと知己を得る。74年、毎日新聞夕刊小説で、田辺聖子の「夕ごはんたべた?」では1年間挿絵を担当し、人気を博する。80年代頃までは、狐面シリーズや村祭りシリーズを盛んに描いている。
 辻さんは、大阪芸術大学でも教授として多くの後進を指導。画家(行動美術協会会員)として、教育者として、今も活躍されている。地元宝塚の美術協会会長や市展の審査に携わるなど宝塚の芸術文化に貢献されていることを一言付記しておきたい。

伊丹市立美術館 宮ノ前 072(772)7447

辻 司 画歴

1933年 大阪府に生まれる
1954年 大阪市立美術研究所に学ぶ
1959年 関西総合美術展一席受賞
1960年 行動展新人賞受賞。
1971年 渡欧。スペイン滞在。
1972年 第七回昭和会展昭和会賞受賞
1982年 京都府加茂町庁舎の壁画制作
1984年 宝塚市民会館の緞帳(狐の嫁入シリーズ)制作
1999年 大阪芸術大学希望退職
2000年 第35回大阪市市民表彰文化功労
2009年 大阪市立美術研究所講師定年退任
個展 画廊ぶらんしゅ(池田市天神1-5-16

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