宝塚歌劇団5組目の宙組が誕生した1998年1月1日、宝塚大劇場に勢ぞろいした宙組メンバーの中に、入団2年目の悠未ひろさんがいた。
「97年に雪組公演『仮面のロマネスク』で初舞台を踏み、その後、組回りで星組『誠の群像』、月組『EL DORADO』に出演して、その東京公演のあと、宙組配属になりました。元旦の発足披露のご挨拶では、一人ずつ名前を呼んでいただき、舞台の上からお客様に向かってお辞儀をしました。歌劇団の歴史の一コマに自分が関わることができた感激を、これからも忘れずにがんばっていきたいと思います」
その感動の日から7年、悠未ひろさんは宙組で着実に力をつけてきた。劇団では毎年入団者と退団者がいて組替えも行われるから、現在、宙組に在籍している発足メンバーは71名中17名だ。その17名のうち、悠未ひろさんの上級生は、男役トップスターの和央ようか、トップ娘役の花總まりを含む、わずか9名。悠未ひろさんは下級生を引っ張っていくリーダーとしても大きな期待がかかる若手男役スターなのである。
「もともと人前に出るよりも人の後ろに隠れているような子どもだったんです。転機は中学3年の頃。『ベルサイユのばら』の漫画の愛蔵版が流行って、その帯に宝塚歌劇で上演と書いてあったんです。宝塚歌劇って何だろう、でも『ベルばら』なら一度観てみたいね、ということになり、初めて自分でチケットを買って観に行って。それが20世紀最後の『ベルばら』と言われた再演の月組公演だったのですが、すごくおもしろくて、宝塚に入りたいと思うようになったんです。それからまるで人が変わったかのように積極的になり、プログラムを買って台詞を覚えたり、受験スクールに見学を申し込んだり。その時のパワーはどこから出ていたのかなと、自分でもびっくりするほどでした」
特に父親の反対が強く、泣きながら説得に努めたが、結局、許しが出ないままレッスンに通う毎日が続いたそうである。
「でも音楽学校に合格して、舞台に立つようになると、父親が1番の宝塚ファンになってくれました」
音楽学校に合格するまでには、もう一つ、忘れられない思い出がある。1995年1月17日、阪神・淡路大震災の朝、悠未ひろさんは宝塚市内のホテルに一人で泊まっていた。東京都出身の彼女にとって、その日は初めての宝塚大劇場観劇日だった。
「やっているだろうと思っていたら公演は中止。すごくショックで、電話も繋がらないし、一人とぼとぼ歩いていたら、ある女性の方が声をかけてくださって、一緒に避難することができました。でもラストチャンスの受験を控えて、どうなるのかと本当に心配しました」
その女性とは今もお付き合いが続いているそうだが、不滅の宝塚歌劇を体験して入団した悠未ひろさんの、舞台への思い入れは強い。
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