鉄斎美術館には何回か訪れていますが、摸写を中心とした粉本展を観るのは初めてです。
以前、真贋展を観た時に感じたのは、技法をそっくりに写していても贋作は原画と品格が違うということです。粉本といわれる鉄斎の摸写は、もちろん描く動機が全く違うわけですから当然ですが、単なる摸写ではなく原画の画格までも写し取っているように思えます。渡辺崋山の「黄粱一炊図」(第二回展示)は原画がパネルで展示されているのでよくわかりますが、崋山の生き方を自分に重ね合わせながら写したと思えるほどですね。同じく伊藤若冲の「糸瓜群虫図」(第二回展示・左上の写真、膳さんの後)も原画がパネル展示されているので、対比しながら観ると鉄斎の摸写の奥深さを知ることが出来ます。勢いがあって若冲の画に感動して描いたのが解ります。若冲の作品もそうですが、鉄斎が摸写した画の中には日本では省みられず海外に流出したものもあると聞きます。摸写が残っていることで画の存在がわかるものも少なくないようです。
鉄斎が、文人として自身の画風を確立した五、六十歳代に多くの粉本を残しているのは、技術を学ぶためというのではなく画家自身の内面や画のテーマなど、好奇心の赴くままに摸写したと言うことでしょうか。自ら紙や布を選んで表装したユニークなものも何点かあり、原画に対する鉄斎の思い入れの深さを感じながら鑑賞しました。鉄斎の粉本ならではの楽しみ方かもしれません。
鉄斎といえば山水画というイメージで捉えていたので、人物画が多いのに驚きました。狩野探幽の「弁慶図」(第二回展示)を始め、源頼朝、豊臣秀吉など歴史上の人物は特に顔が克明に描かれ、興味深く観ることができました。
鉄斎美術館は辿り着くまでに気持ちが高まり鉄斎さんに出会えるというアプローチがとてもすばらしいと思います。 |