実は、取材に現れた凰稀かなめさんを見て、びっくり。スラーッと伸びた極細の長身、小さな小さな頭!
「モデルになるつもりだった」という言葉に、そうでしょうね、と納得。
宝塚受験は両親に強く勧められたからという、とても珍しいケースなのだ。
「たまたまテレビで天海祐希さんのさよなら公演を母と観ていて、宝塚歌劇を観に行ってみようかということになり、東京宝塚劇場で月組公演『CAN―CAN』を観劇しました。その後、両親から宝塚では女性としても磨かれるし人間としての礼儀やマナーもしっかり勉強できるから、1回受けてみてはどうかと言われ、宝塚のことをほとんど知らないまま受験しました」
凰稀かなめさん自身は、受かるとは思っていなかったというが、ミュージカルが好きで舞台をよく観ていたし、学校のクラブで新体操もやっていた。
「クラブで体を動かしている私を見て、母が宝塚受験を思いついたらしいんです。でも全然、踊れていなかったんですよ」
将来性ある逸材を宝塚が放っておくわけがない。1次試験にパスし、どうしよう、と思うまもなく2次、3次も合格。宝塚一筋の熱心な受験生達の姿に接して、凰稀かなめさん自身の心境も確実に変化していったはずだが。
「結構、人みしりするタイプなので、新しい環境になじむのに時間がかかりました。舞台に立つようになって、少しずついろんなことを感じられるようになり、ようやくここまでこれたという感じですね」
初舞台は2000年4月『源氏物語 あさきゆめみし』。同年、東京公演『デパートメント・ストア』『凱旋門』から雪組配属になり、03年1月『春麗の淡き光に』の新人公演で源頼信、8月『Romance de Paris』新人公演でムジャヒド、04年4月『スサノオ』新人公演で月読を演じたのち、11月『青い鳥を捜して』新人公演のフィンセントで朝海ひかるの役を初めて演じた。新人公演初主演は05年7月『霧のミラノ』である。
「初舞台は、同期全員で舞台に立つのは最初で最後よ、と上級生がおっしゃった言葉を毎日噛み締めていました。研5くらいまでは、舞台での自分の役目を果たすことに必死で、それ以外はあまり覚えていません。下級生時代は何をどうしたらいいのかまったくわからなかったというのが本当のところで、上級生のなさることを見て、やってみて、それでもできなくて、家に帰ってからもビデオを観て研究し続けました。いわれた通りやったつもりなのに、ビデオで客観的に観ると全くできていない。すごく悩みました。例えば通行人の役などは1番難しいんです。わざとらしくならないようにカップルで歩くという役も結構多く、喫茶店に入っては外を歩くカップルを眺めて、何を考えているのかなあ、宝塚的にはどうやればいいんだろうと」
真面目で研究熱心な人なのだ。
「『青い鳥を捜して』の新人公演で朝海さんの役を演じたときは、とにかく主役の音月桂さんについて行かなければという思いが強かったのですが、次の『霧のミラノ』の新人公演で初めて主演させていただいた時は逆に、みんなを引っ張っていかなきゃいけない、絶対にみんなの足を引っ張らないようにしなければと思って、稽古が始まるまでに台詞も歌も振りもすべて覚えて臨みました。ところが立ち稽古で緊張してしまって、台詞が出てこなかった。二日目は絶対やるぞと思いましたね。もともと自分に自信をもっているタイプではないのですが、舞台経験を積むことで、少しずつ自信のようなものができてきたかもしれません。自分が真ん中に立ったとき、みんなこんな風にしてくれるかなという自分の思いに気づきます。すると今度は、果たして自分は本公演で役割をまっとうできているかなという思いに至る。バウ主演の時は、自分だけがみんなに支えてもらって前に出るのではなく、自分もみんなを支えたい、包んであげたいという思いがすごく強かったです。舞台はみんなでつくるものだから」
「凰」は鳳凰から。幻の鳥である。「稀」は、めずらしいという意味。めったにいない幻の男役、である。「かなめ」は芸名提出前夜、夢の中で呼ばれた名。
「がんばって男役をつくっていることが見えると、お客様は興ざめされると思います。私は普段からさばさばした性格なので、それが男役に活かせるように、感性を磨いていきます」
自らと対峙する静けさが、凰稀かなめさんの澄んだ瞳に満ちている。
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