書の展覧会は5年ぶりとのことで、30歳代から最晩年89歳までの代表的な作品が年代を追って展示されています。若い頃の細い線から力強い線に変容していくのがよくわかります。特に80歳を過ぎてからの勢いと自由さには圧倒されます。また、鉄斎の書は言葉の裏に何か隠されていそうで面白い。
85歳の作品「福星開寿域」(前期展示)を書いたのは鉄斎が彗星か何か特別な星を見たのが動機じゃないか、とか。長寿を願う意の「千秋萬萬歳」(前期展示)は単に中国の故事を書いただけでなく鉄斎の神官の経歴を考えると、「とし(歳)」が古い日本語で米を意味することから豊かな収穫を願う意ではなかったか、などと歴史を研究している私は想像してしまいますね。
鉄斎は百錬(ひゃくれん)という名も用いていますが、若い頃石上いそのかみ神宮の宮司を務めていたことと関係があるのではないかと思ってしまいます。石上神宮の御神宝の七支刀しちしとうは4世紀半ばに百済で制作されて、大和に贈られたものですが「百錬銕(鉄)七支刀」と記されていますから。
型にはまらない鉄斎らしく字体もくずし方も様々ですが、親交のあった清澄寺の先々代法主、光浄和上に書の手本として書いた「前赤壁賦」(全期展示)は一つの漢詩の中に行書、草書、楷書などが混在していて驚きました。
鉄斎は書き順などにあまりこだわらず自由奔放な表現をする一方で、精神はとてもストイックという両極を感じます。東洋の教養に立脚した自由というか、考え方の基本はあくまで江戸時代までの東洋の精神に基づき、しかし、表現は自由で伝統や型にとらわれていない。鉄斎自身の生き方も権力に与せず「紙田墨稼」(上の写真・田辺氏の後)の書にみるように、「書画によって生計を立て正しい道を守ってきた」自由人ということができます。私もそんな生き方に憧れます。
日本画や東洋美術史に興味を持つ人だけではなく、こういう生き方を伝えると、作品以前に鉄斎の人間性に大きな共感を抱く若者が多くなるのではないでしょうか。
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