鉄斎の粉本といわれる摸写や写し絵をじっくり拝見したのは初めてですが、筆の運びが晩年の奔放な鉄斎画に通じるものから、鉄斎らしくないともいえる丁寧で繊細な線の山水画まで、本画の印象とはまた違った鉄斎が発見でき興味がそそられました。鉄斎の摸写は原画の内側にある精神性や哲学を写しているようで、視覚的なものや技法を重視する絵描きの摸写とは勉強の仕方も違いますね。本を読むのと同じように楽しんで絵を写したのではないでしょうか?
85歳に描いた本画も併せて展示されている阿弥陀如来図(前期展示)などは摸写とは思えないくらい線の流れが美しく、見入ってしまうほどですが、やはり、鉄斎の作品は賛や落款も画の一部ですから、賛の大意を汲みながら鑑賞すると画だけでは見えなかったものが見えてくるような気がしますね。普通はこれだけ様々な様式や分野に及ぶ摸写をすると、自分が何を描きたいのか解らなくなってくるものですが、鉄斎はその中から自分独自の世界を創っていったのですから驚きます。
鉄斎が関心を持った人物や尊敬する人物の摸写が多く展示されている中で、有名な長谷川等伯筆の千利休像の他に煎茶の祖、売茶翁像、小川流の祖、小川可進像(上の写真・中辻さんの後)があり、話には聞いていたものの実際に人物像を見ることができ、鉄斎の茶道への造詣の深さを改めて知りました。可進が住んでいた室町の住居を購入して没年まで住んでいたことも始めて知りました。
私も小川流六代目家元後楽さんに師事する方との出会いがあり、ここ数年、煎茶に親しんでいて、文人の精神世界をほんの少し味わっています。一度、席主として私のオブジェと元永定正の作品を設えた自由な空間でアート茶会を京都芸術センターで開かせてもらったこともあるんです。
粉本は世に出るものでないだけに鉄斎の胸中を知る手がかりがあり、不思議さがいっぱいで、面白くもあり勉強にもなります。絵描きとは一線を画した鉄斎ならではの粉本といえるでしょう。
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