仕上がった自分の作品に署名し、最後に印を捺すときほど至上のよろこびを感じる瞬間はないでしょう。鉄斎が生涯に300種近い落款印を用いたというのは年代によって、また、描いた画の題材によって落款印にもこだわりをもち、それを捺すことに大きなよろこびを感じたからだと思います。解説によると鉄斎の印は「富岡百錬」の印文が42種と一番多く、鉄斎の用印76顆を刻した篆刻家桑名鉄城や清の金石学者で辛亥革命によって日本に亡命していた羅振玉、清の篆刻の名手である呉昌碵のものを愛用していたようです。最晩年、「案山子」という号も見られますが、私も「可々」という号を持っているので親近感を感じました。
86歳で描いた盆蘭図(前期展示、写真左上・中浜さんの後)には官に仕えず山林に高踏する隠士にふさわしい花という意の賛があり好きな作品の一つですが、賛の始まりに引首印といわれる人物をかたどった古印が捺され、落款には富岡百錬の下に「読万巻書行万里路」と刻された印があり、万巻の書を読み万里の路を行った鉄斎の生き方そのものが感じ取れます。若い頃には理解できなかった鉄斎の凄さが今になってわかるというか、年齢とともに面白くなってきますね。人間というのは知れば知るほど知的世界が広がっていくんですね、扇のように。ですから鉄斎のように歳を重ねても好奇心は衰えないわけです。私の師匠である南画家、直原玉青氏は101歳まで果敢に挑戦し、「漁隠清忙図」(前期展示)の引首印のごとく「老当益壮」そのものでした。
晩年の鉄斎の画は光っていますね。自由に描かれていて色っぽい。これは逆説的にいえば最高の技巧じゃないでしょうか。私はいつも絵はうまい下手ではなく好きか嫌いで観るものだし、誰でも描けるものだと言っています。特に墨絵は手軽で入りやすく、すごい境地にまで高められます。私の絵を観た猫好きの人が墨絵を描きたくなってくれればうれしいと思います。そうすれば鉄斎の世界に少しでも入っていくことができるんじゃないでしょうか。それが墨絵を描いている私の役目だとも思っています。
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