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-バックナンバー- 2004年7月号

雨上がりの新緑に栄える清荒神清澄寺の境内を奥に進むと森田子龍氏揮毫の扁額「聖光殿」が趣を感じさせる鉄斎美術館。

現在、「鉄斎の粉本」展が開催され7月11日まで2回に分け、摸写など87点と本画3点が展示されます。鉄斎は師を持たずあらゆるジャンルの絵画を摸写することで技法や構図などを研究、自らの絵も「盗み絵」といっているほど多くの粉本と呼ぶ摸写を残しています。

この展覧会を、「文人画思想に共感する」という版画家で現代美術作家、戸口ツトムさんと鑑賞、鉄斎独自の画風に至るプロセスとしての摸写に出会い、鉄斎が原画に何を求めたか、その真意に触れました。

  摸写の元となった作品こそが鉄斎の師

鉄斎は1836年生まれ、私とちょうど100歳違いで、画風も全く違うんですけれど、絵画の本質は人間の心の中にこそ求められるとする当時の文人画思想には大いに共感します。ものを感じ、表現しようとする心は全てに通じると私は考えています。

「粉本」は洋画ではデッサンに当たる本来表には出ない摸写や下絵のことですが、技法や構図を学びとるためだけのものばかりでなく、人として尊敬する人物の作品や興味を持った題材などを多く摸写しているのがいかにも鉄斎らしい。芸術は単に色や形ではなく「造形」という楽器を用いて表出された心、即ち人間像によるハーモニーとして捉えるべきではないでしょうか。まさに鉄斎という人間の心が画という形で表現されるそのプロセスにこの摸写があるのだということがわかります。

この展覧会では鉄斎が尊崇し、肖像画を描いている文人画家、池大雅(前期)と渡辺崋山(後期)の作品の摸写が中心に展示されているので南画の歴史を意識しながら見れば、なお楽しめます。また、鉄斎の摸写と原画のパネルが比較出来るように展示されているのも鑑賞者にはうれしいですね。摸写を元にしたとわかるものは本画も展示されています。

中国の文人画を臨写した秋景山水図(前期展示・上の写真戸口氏の後)は筆に自信が感じられ、摸写といえども迫力がありますね。鉄斎には特定の師はいなかったといわれますが、粉本に接したとき、摸写の元となった作品こそが師ではないかと実感します。

今、私はアジアの画家たちとの交流を深め、中国の絵画に接していますが、鉄斎が大きな影響を受けた中国の水墨画はそのよき伝統が現代に生かされるか、岐路にあるといえます。文人がそうであったように絵を描くことだけを職業とせず、自分の芸術を追究していく姿勢が今、アーティストに問われているのではないでしょうか。


会期 〜7月11日(日)
月曜日休館
開館時間:午前10時〜午後4時30分(入館は4時まで)
入館料:一般300円、 高大生200円、 小中生100円
(老人、 身体障害者手帳提示の方は各々半額)
宝塚市米谷字清シ1 清荒神清澄寺山内 
TEL0797−84−9600

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