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-バックナンバー- 2004年1月号

世界中を見回しても、轟悠さんだけではないか。日本舞踊とダンスが踊れて、芝居ができ、歌も歌える舞台人は。そのすべてが一流なのだから驚いてしまう。

「私自身は絶対にそう思っておりません。芸に完成はないので、反省すべきところ直すべきところは数え切れないほどあると思います。そんな自分の姿を直視して、大きくなっていく。それが今までと同様、これからの私の課題です」

雪組のトップスター時代、誰よりも出番が多いのに誰よりも激しく踊る轟悠さんの、力漲る舞台姿に感動した。 多くのトップスターが、トップ就任と同時に退団の時期を考え始める。どうか永遠に男役であり続けて、と祈る思いで願ったものだ。

2002年、第二の春日野八千代に、と期待されて専科に移籍した轟悠さんは、2003年6月、理事に就任し、経営の仕事にも携わっている。関係者、ファンの夢が最高の現実となった喜びの中で、2004年1月1日、宝塚歌劇90周年の幕が上がる。

「おめでたい90周年の幕開けに、元旦から祝舞を舞わせていただきます。きっと心地よい緊張感を味わいながら、この上なく気持ちよく舞台に立っていることでしょう。振り返りますと、私も他のトップスターと同様に退団のことを考えなくてはと思いました。でも、そればかり考えていても、いい舞台はできません。トップに就任する前から、この作品で退団するのだ、という気持ちでひとつひとつ取り組んできました。そう思い始めてから、作品への思い入れや、お稽古に対する姿勢なども一層深く自覚するようになりましたので、トップになったからといってそれが変わることはなく、今まで同様、いい舞台をお届けできるよう集中して務めてきました。

 専科に、というお話をいただいた時は半年間、悩み続けました。正直にいって、それまでは自分の将来と真剣に向き合う時間の余裕がなくバタバタとすごしており、初めてあらゆることを考えて気持ちが刻々と揺れ動きました。でも私は宝塚の舞台が好きであり、宝塚以外の舞台で女優を演じる自分自身を考えることができません。宝塚で男役をやっているからこそ、舞台で思いっきり楽しんで仕事ができる。宝塚歌劇に出会ったのが遅く、音楽学校を受験する1年前だったので、在団している中で、どんどん好きになっていった珍しいケースかもしれませんね。宝塚に恋している、そんな感じといえばわかっていただけるでしょうか。

  宝塚受験は、初めて自分の意思で決めたことです。人生を決める、というと大袈裟ですが、子ども心に大きな決断でした。自分で決めたことは今までどおり、私らしくトコトンやっていこうと。ただ、第二の春日野先生にと言われますけれども、雲の上の方ですし、今は自分が春日野先生のように宝塚に貢献できるとはまだ思っておりません。責任という文字がドンとのしかかっていますけれども、気負わずに進んでいきたいと思っています

 

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