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-バックナンバー- 2003年8月号 | ||||||||||||
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弘法大師降誕祭が行われていた6月15日、瓢箪や荒神松の露店が並び賑わう清荒神清澄寺の参道を抜け、鉄斎美術館へ。 同館では 鉄斎の粉本」展が8月7日まで開催され鉄斎が独自の画を確立するに至る道が紹介されています。 今回は画廊代表の佐野恵美子さんと、粉本を通して旺盛な好奇心を失うことなく生涯描き続けた鉄斎の生き方に触れました。 |
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あらゆるものに好奇心を持ち続けた鉄斎 明治生れの父が手拭絵師で、和手拭の収集家でもあったので図柄になる歌麿や広重などの日本画には子どもの頃から親しんできました。絵に興味があり、よく美術館へも通いました。 鉄斎は熊野を歩き那智瀑布図を描いたそうで、野呂介石の作品を摸写した「那智三瀑図」 (左の写真・2回目の展示)には鉄斎自身が那智瀑布を見て、その奇景に驚嘆したことが書かれていますが、私も原生林の中にある滝を巡ったことがあるので、この画に出会って感動しました。7月14日の火祭りには毎年お参りしています。水と火というのは人間の原点だといわれますが、鉄斎も那智の滝に出会魂に響く何かを感じられたのだと思います。 鉄斎は分野や流派を超えて山水、花鳥、人物、仏画など幅広く描いていて、摸写にしても自分が興味を持ったものは80歳を超えても描いています。文人鉄斎だからこそ何歳になっても画家然となることはなかったのでしょうね。普通の画家にはできないことです。父も手拭という庶民の世界ではありますが、晩年まで図柄を写しそれを図案化し続けていました。コレクションも5000点に及び 、図案も沢山描き残しています。鉄斎と共通するものが見つけられうれしい気持ちです。 鉄斎は日本の歴史の中でも後世に伝えるべき立派な芸術家ですから、そのコレクションを1200点余も収蔵している鉄斎美術館は貴重な存在ですね。美術館の前庭から館内の壁や天井まで、すべて鉄斎に因んだ意匠が施されているこだわりも素晴らしい。 私の画廊は川西の小さなスペースですが、こだわりをもって芸術活動を広めていかなければと思いました。 |
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