基本の上に独自の画風を確立させた鉄斎
絵を学ぶ者にとって摸写はかかせない勉強法なのですが、鉄斎のように原画を直に透き写したり臨摸したりすることは現在では考えられませんから、羨ましいような気もします。現在は国宝になっている源頼朝像や平重盛像(藤原隆信筆)は京都高雄の神護寺で描き写したのでしょう。粉本といえども人物の人間性を捉えているのはさすが鉄斎の筆といえますね。宮本武蔵筆の「猿を襲う鷹図」や中国明代の「墨竹図」(1回目の展示)も線に無駄がない。私は円山応挙の6代目、北井真生先生に師事し、先生が亡くなられてからは先生の作品を直に透き写しして、勉強させていただき幸運でした。摸写は構図や筆法、技法、彩色などを学ぶ上で不可欠ですが、鉄斎のように山水、人物、花鳥から美人画までと多彩で、様式にしても文人はもとよりあらゆる流派を写している例はないでしょう。これら摸写によって学んだ技術の蓄積の上に鉄斎独自の画風が確立されたことがわかります。
この展示では原画のパネルと摸写、そして本画と3点が並べられた作品もあると伺っていたので作品が生まれるプロセスが垣間見られるとワクワクしました。事実本画の自由な線には圧倒的な存在感がありますね。そこに鉄斎の精神までもが表現されていますね。
私が洋画から日本画、そして水墨画へと変わったのは日本画家の秋野不矩さんが京都芸術大学の講座で「日本画は西洋の人には教えきれないものがある。精神性を伴う表現は東洋人にしか伝えられないのではないか」とおっしゃった言葉が心に引っかかり、日本人の私にしか表現できない絵を描いてみようと思ったからなんです。西洋画が日本に入ってきた時は水墨は古くさいと疎んじられましたが、今また、見直されているんではないかと思います。 私が教えている学校でも基礎を終えた学生が水墨画を習いたいと言ってきます。
時代は回っているんじゃないでしょうか。
鉄斎の粉本からは技法だけでなく学ぶものがたくさんあります。
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