墨の強い線に感動
学生時代から書道を習っていたこともあって、高校の校長室に飾られていた鉄斎の画の印象は今もどこかに残っています。趣味を越えて書道に取り組もうと再び大学に入り師事した西橋香峰こうほう先生から、鉄斎の画賛を研究し世に知らしめたのは書道家の辻本史し邑ゆう先生と聞きました。画もさることながら書家としても素晴らしい才能を持っている方ですね。
賛はもともと画中に書き入れる詩文のことで、画家と同世代、または後世の鑑賞者等が書く場合があり、画の持つ美的価値を言い表したものだそうですが、鉄斎の画賛は賛文から書いたのではないかと思えるくらい「見る人の為に」書かれていることがわかります。
画には必ず意味があってその典拠や思想を書き記している。中国故事など和漢の書物が頭の中に入っていたのでしょう。画と賛が渾然一体となっていて、それは文人画本来の表現と言えるのではないでしょうか。
書は墨がたっぷり入ったところは小さめに書き墨が枯れてくると暴れるものですが、鉄斎の場合はそういうパターン化されたルールはありませんね。自分の思いが強い所は大きく太い線で書かれているような気がします。漢字の偏と旁が逆だったり遊び心も面白いものです。賛の最後の方はスペースがなくなってきて文字が小さくなっていたり一見自由気ままに書かれているようでいて、四角の中に
収まっているんです。そこに鉄斎のプライドのようなものを感じます。
私達は何百枚も練習した中から一点の作品を選ぶのですが、鉄斎には練習をした臨りん書しょが残っていないのが不思議です。反ほ古ごにする事を嫌った鉄斎ですから失敗はほとんどなかったのでしょうか。後で一字付け加えた賛も見受けられますね。「率意の書」
といって内面から自然に湧き上がる思いがそのまま表現されているので線が強く印象的です。
|