バックナンバーへ|TOP
-バックナンバー- 2003年5月号
 

 山の木々が芽吹き始め蓬莱石組の池で亀が遊ぶ春の清荒神清澄寺。28日には春季三宝荒神大祭が華やかに行われます。境内にある鉄斎美術館では5月11日まで、「鉄斎 春季展ー画賛を中心にー」が開催され、「わしの画を見るならまず賛を読んでくれ」と人に語っていたという文人、鉄斎の画に込められた意味を探っています。 和漢の書物から取材した賛を読むことは現代では困難ですが、訓読と大意が示されているので画と書を同時に味わうことが出来ます。香港で中国画を学んだ書道家の横山嘉祥さんと美術館を訪ね、鉄斎の画賛をじっくりと観賞しました。

会期 〜5月11日(日)
月曜日休館
ただし祝日の場合は翌日(火)休館
開館時間:午前10時〜午後4時30分(入館は4時まで)
入館料:一般300円、 高大生200円、 小中生100円
(老人、 身体障害者手帳提示の方は各々半額)
宝塚市米谷字清シ1 清荒神清澄寺山内 
TEL0797−84−9600

墨の強い線に感動

 学生時代から書道を習っていたこともあって、高校の校長室に飾られていた鉄斎の画の印象は今もどこかに残っています。趣味を越えて書道に取り組もうと再び大学に入り師事した西橋香峰こうほう先生から、鉄斎の画賛を研究し世に知らしめたのは書道家の辻本史し邑ゆう先生と聞きました。画もさることながら書家としても素晴らしい才能を持っている方ですね。
 賛はもともと画中に書き入れる詩文のことで、画家と同世代、または後世の鑑賞者等が書く場合があり、画の持つ美的価値を言い表したものだそうですが、鉄斎の画賛は賛文から書いたのではないかと思えるくらい「見る人の為に」書かれていることがわかります。
 画には必ず意味があってその典拠や思想を書き記している。中国故事など和漢の書物が頭の中に入っていたのでしょう。画と賛が渾然一体となっていて、それは文人画本来の表現と言えるのではないでしょうか。
 書は墨がたっぷり入ったところは小さめに書き墨が枯れてくると暴れるものですが、鉄斎の場合はそういうパターン化されたルールはありませんね。自分の思いが強い所は大きく太い線で書かれているような気がします。漢字の偏と旁が逆だったり遊び心も面白いものです。賛の最後の方はスペースがなくなってきて文字が小さくなっていたり一見自由気ままに書かれているようでいて、四角の中に
収まっているんです。そこに鉄斎のプライドのようなものを感じます。
 私達は何百枚も練習した中から一点の作品を選ぶのですが、鉄斎には練習をした臨りん書しょが残っていないのが不思議です。反ほ古ごにする事を嫌った鉄斎ですから失敗はほとんどなかったのでしょうか。後で一字付け加えた賛も見受けられますね。「率意の書」 といって内面から自然に湧き上がる思いがそのまま表現されているので線が強く印象的です。