鉄斎自身の表現だから筆に勢いがある
母国中国で水墨画を学び、新しい表現を求めて来日、関西学院大学の美学科で磯博先生に師事し日中の画論を研究する中で、日本画や日本の山水画に接して中国の伝統的水墨山水と日本の山水画の融合という独自の世界が見えてきました。鉄斎は中国の山水画を学び、そこに題材をとった作品を多く描いていますが、決して中国の山水画と同じではありません。
中国には「書画同源」という言葉があり、鉄斎も「詩書画三絶」を言っているように、詩や書にして絵画的であり画にして詩的である、即ち中国の風景を題材に描いていても、そこには鉄斎の内面が自由に表現されているのです。鉄斎自身の画になり得ている。晩年になるほど筆に勢いが増すのは内面の高まりを感じさせます。私が鉄斎から最も影響を受けた点です。
中国故事を描いた「東方朔捧桃図」(写真右上)は81歳の作品ですが画面からはみ出さんばかりの勢いに感動を覚えます。
日本の自然を描いた山水画にも大いに興味を持っています。中国の山水画は自然の中に超俗の理想郷を求め、その精神を描くことを原点として今も受け継がれていますが、それが日本の風景ではどう表現されるのか。この展覧会では二見浦の初日の出を描いた「朝晴雪図」(1回目の展示)があり、温和で優しい情趣に惹かれました。
また、鉄斎は漢詩や漢文を賛に書いていますが、漢字を母国語とする中国でも近年漢字が記号化され文字の持つ意味が風化してしまいました。漢字は文化ですから憂慮すべき事態です。伝統文化が継承されてこそ、そこに新しい文化が育つわけですから。鉄斎が大和絵、大津絵、山水画など伝統的技法の上に独自の世界を創出したように、私も中国の水墨山水というベースがあるからこそ日本画との融合による水墨画を描くことができるのだと思っています。
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