三回忌に家族で出版
平成13年1月に突然の病で夫を亡くした花谷香久子さんが3回忌の法要に遺稿集を自費出版しようと思ったのは、長年国語教師として中学・高校の教壇に立った夫、其予士さんの書斎にいつ整理するともわからないまま残されていた原稿を手にした時、自らは出版をためらっていた夫も、家族が出版することは喜んでくれるだろうと、考えたからだ。
それは「はじめに」の中に娘の邑玲さんが記しているように文学に親しんだ父を想うとき、ごく自然に生まれてきたものだという。
手元にあった還暦前後の作品16編に、尼崎の中学校で教鞭をとっていた若い頃の随想や趣味だった囲碁の棋譜、68歳の時に応募したNHK文章教室短文コンクール入賞作品が加えられ、新たに夫婦の歴史、挽歌と題した香久子さんの短歌、娘二人が綴った父への想いが故人を偲ぶ知己の文章と共に纏められた。その遺稿集からは其予士さんの人生哲学ともいえるメッセージが伝わってくる。
「故郷」という章の中で其予士さんは19世紀初頭のドイツの詩人ノヴァーリスの「私たちはいったいどこへ行くのか?つねに家へ、ふるさとへ」という一節は29歳の私が大きな感銘を受けた言葉だ、と記し、娘の邑玲さんは父の死後、故郷の佐用を訪ね父親の存在を改めて見つめ直し、遺稿集に文章を寄せた。
「寡黙な父がお酒が入ると必ず口にしていたのが『ふるさとへ』の一節。若くして故郷を離れた父でしたが父が育った家や佐用の自然の中に身をおいて父の語った『ふるさと』が五感を通して私に語りかけてきました。そこは父の出発点であり心の帰結点でもあったような気がします」と邑玲さん。「本に纏める作業の中で父の価値観や人生観と向き合い、父の娘であることを改めて認識した」とも。
病に倒れる前の4カ月間を1級建築士受験のために実家で過ごしていた次女の知馨江さんは父との日々を「最後の夏」と題し、エピソードを交えながら温かい文章で綴っている。
結婚から闘病生活までを「夫と私」の中に収めた香久子さんは感情に流されないようナレーターの役目を果たすつもりで書いたという。そして、描きためていた花のスケッチも挿し絵となって心を和ませてくれる。
思いがけない反響に驚き
親戚を始め其予士さんや香久子さんの友人から多くの反響が寄せられ、出版後の1週間は電話が鳴りっぱなしだった。家族の絆に感銘を受けたという人、其予士さんの残したメッセージに感動した人、香久子さんが介護の日々に泣きながら記した「挽歌」に涙した人。それぞれの感想が寄せられた。香久子さんは「こんなに反響があるとは思っても見ませんでした。本を読まれた大先輩が懇談の席を設けてくださったり、克明に感想を書いてくださった方もあります。夫を亡くした寂しさは埋められるものではありませんが、遺稿集を出すことで人生観が浮き彫りになりさらに輝きを増したようです」と。
表題になっている「有為の仄めき」は物事の本質を捉え、穏やかに見つめ続けようとした「花谷其予士らしい言葉」。文中のそれは表題となって輝きを増し語りかけてくるようだ。
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