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-バックナンバー- 2003年10月号

貴城けいさんの初舞台は1992年、「この恋は雲の涯まで」である。それから今日まで雪組で活躍してきた。

 思い出深い舞台を振り返ると、96年に初演「エリザベート」の新人公演でルドルフに抜擢され、薄幸の皇太子の儚い美しさを、確かな歌唱力で演じて注目を浴びた。
その後、97年「仮面のロマネスク」のヴァルモン子爵役に始まり、「真夜中のゴースト」のチャールズ、「春櫻賦」の謝名龍山、「浅茅が宿」の勝四郎など、新人公演の主役を立て続けに4作品も演じた。2000年には明智光秀役で宝塚バウホール公演「ささら笹舟」に初主演し、同年、5組選抜メンバーが出演したベルリン公演にも参加。01年、バウホール公演「アンナ・カレーニナ」では初めてヒゲをつけて、大人の男役カレーニンを演じ、芸域を広げた。02年、全国ツアー「再会」「華麗なる千拍子2002」から、新生雪組を支えるセカンドに。そして03年6月、バウ主演2作目の「アメリカン・パイ」が、貴城けいさんの人生観を大きく変えるエポックとなる。
©宝塚歌劇団


 「グラン・パが自分に乗り移ったのか自分がグラン・パに乗り移ったのか、わからないけれど、性別を超えた人間的な部分にとても共感でき、台詞にもあるのですが、人間はみんなそれぞれに存在する意味があるんだなと心から思えました。原作の萩尾望都先生の漫画はお稽古が始まるまでに何十回も読みました。読むたびに作品のメッセージが胸に染み込んでー。初めてギターの弾き語りをしたので、お稽古中はギターを弾く事で頭が一杯で気持ちに余裕がありませんでしたが、公演が始まってからは自分も周りもどんどん集中できました。死ぬのは怖いし死にたくはないけれども、グラン・パと出会ったことで、人は死んでしまっても思いは残るんだと信じられるようになりましたね」

もちろん作品との幸福な出会いは貴城けいさんだけではなかった。公演中、下級生たちは出番が終わっても楽屋に戻らず、ひたすら舞台袖から舞台を見つめていた。

「毎回、舞台袖が下級生でいっぱいでした。私が早変わりで袖に走って入ってくる時はタイミングよく避けてくれるんです。舞台は主役一人ががんばってもダメで、周りが盛り立ててくれないと主役が生きてこない。それは新人公演の主役をさせていただいたときから感じていましたが、『アメリカン・パイ』での連帯感は本当にうれしかった」

 さて、レビュー・ファンタスティーク「レ・コラージュ」では"ナイチンゲール"の場面の主、プリンス役。今後の抱負をお聞きすると、「御客様はたくさん舞台をご覧になって目がこえていらっしゃいます。美しい夢を見ていただきながらも、あの気持ちは分かるな、と共感していただけるような役づくりをしていきたいと思います」

 毎公演、与えられる役割は責任が増してゆく。でも幸せなことだと素直に思う、という貴城けいさんの胸の中では、生き生きと夢が育まれ続けている。




インタビュアー
 名取千里(なとり ちさと)

  (ティーオーエー、日本広報学会会員/現代文化研究会事務局
  /宝塚NPOセンター理事
  主な編著書
  「タカラヅカ・フェニックス」 (あさひ高速印刷)
  「タカラヅカ・ベルエポック」(神戸新聞総合出版センター)
  「仕事も!結婚も!」(恒友出版)

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