■学校に女子が戻ってきた
西垣さんのアフガニスタン支援活動は朝日放送のドキュメンタリー番組でも紹介されるなど、同時多発テロ後日本中の注目を浴びるようになったが、その活動は8年前の1994年から始まり、単身アフガニスタンを訪れ現地の人と交わり状況を肌で感じ、子どもや女性が必要としているものを現地調達するという地道な支援は今もなんら変わることはない。
春、テロ後初めてアフガニスタンに入り、カブールの町に張られたインド映画のポスターや「学校へ行こう」と書かれた看板を目にしタリバンが撤退したことを実感したという西垣さん。秋にも再びこの地を訪れジャララバードの病院にレントゲンの機械を贈った。
昨年、アフガニスタンに入って一番うれしかったのはユニセフから贈られたバッグをかけて女の子たちが喜んで学校に行く姿を見たことです。タリバン時代は女子は学校にも行けなかったし、職業も奪われていましたから。でも、教室が足りなくて外で勉強をしているし、窓ガラスのない教室や水が足りない病院の復興はこれからです。
首都のカブールではフランス語とダリ語の情報誌も発行されていて貿易センタービル崩壊の映像も一部の市民だけだけれど知ることができるようになりました。でも、ほとんどの人はなぜ空爆が起こったのか全く知らない。
今も8000人のアメリカ兵が駐留しアルカイダ撲滅作戦は続いているので長距離を車で移動する時はヘリコプターの音に恐怖を感じることもあります。
私はパキスタンからカブールに入り1年前、義足をプレゼントした少女フルーザンに会いにいきました。元気でしたが、空爆の話になると身よりのないフルーザンは孤児院で一人になりとてもこわかったと泣き出し胸が痛みました。私が会いに行くと母親のようにとても喜んでくれるので来て本当によかった、と思うんです。
カブールから舗装されてない陸路を8時間かけてジャララバードに入り、孤児院を訪ねパソコンとテレビを寄付しました。情報は遮断されていたのでみんなテレビも初めてです。電話回線はないのでメールはできないんですが、英訳のソフトで勉強ができるようです。レントゲンのない病院には中国製のレントゲン機をパキスタンで購入し届けました。必ず現地の人が本当に必要な物を直接聞いて実際に目で見て買い、領収書をもらうという支援スタイルを続けているんです。私なりの小さな支援ですが、寄付する側にもされる側にも信頼してもらえるからこそ続けられると思っています。
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