墨一色の中に表現されるスピリッツ
富山にある、知り合いの作り酒屋に残っていた鉄斎の作品を1点持っています。大徳寺の襖絵35枚を水墨で描いた日本画の大家、豊秋半二に鑑定を依頼したところ40歳代の真作とのことでした。画帳の中の一枚で、くわいを描いた淡彩画ですが、きめ細かく描かれているもので、鉄斎も若い頃はピカソの青の時代の様に写実的技法で描いているのがわかります。
私は彫刻の分野ですが、若い頃は、北斎や鉄斎に学び、毎日内容を会得するまで般若心経を竹の筆で写経し書の修行もしました。
鉄斎の晩年の作品は南画を越えて天衣無縫ともいう筆の運びです。その筆の運びは体から自然に生み出されているんですね。そこに鉄斎の精神が表現されている。人間鉄斎そのものが。
墨一色にも色があり、こちらに迫ってくるような勢いが感じられるんです。
この展覧会では「慎忍」(前期の展示)と書かれた書に特に感銘を受けました。筆の運びが奔放で鉄斎そのものです。鉄斎が文字に込めた意味が心深く伝わってきます。
私は唐招提寺の鑑真和上像など仏像彫刻に用いられている伝統技法の乾漆に独自の技法を加え、漆そのものを発色させる色彩乾漆という方法で漆を現代彫刻に蘇らせドイツやフランスでも作品を発表していますが、墨の濃淡やかすれにも似た日本のわび、さびの色彩が出せるので内面を表現するのに適しているんです。今は人間の本質、ソウルを表現した「スピリッツ」という作品を創り続けています。
人間のスピリッツを独自の方法で表現するのが芸術であり、墨の世界は鉄斎が到達した精神の極みが表現されているといえるのではないでしょうか。
|